第62回 「東日本大震災 5周年記念」インタビュー
ASA Digital: Emmanuel Saccocciniさん 2016年3月11日

東日本大震災から11日で5年目となる今年。シリコンバレーと東北を繋ぐ架け橋となるような事業を行っている会社ASA Digitalは、ここサンフランシスコにオフィスを置き、東北の復興や事業の発展を目指す。フランス人ながらこの会社の共同設立者及び、サンフランシスコオフィスのエグゼクティブプロデューサーであるエマニュエル・サッコチーニ氏に、自身の経験や人との出会いを経て設立されたASA Digitalの背景についてお話を伺った。

日本、そしてある日本人との出会い

私はフランスで生まれ育ち、経済学を勉強して地元の銀行で働いていました。仕事の縁で東京に住むことになり、その2年間、日本人と働いたことにより日本文化や日本語を学び日本独特の情緒を理解しました。フランスに戻ってからは1年ほど同じ仕事場で働きましたが1999年にフリーランスウェブデザイナーとして仕事を始めました。その後友人を誘い、小さなスタジオを設立、その5年後には中小企業として成長することができました。当時、日本のクライアントもおり、そのうちの一社である某大手広告制作会社からオファーを受けてビジネスパートナーとなりました。この時初めて、そこの社員であったマツタニさん(当時ヨーロッパ企業担当責任者)と知り合い、とても気が合う友人、そして良い仕事仲間となりました。

人生の分岐点となったサンフランシスコ

フランスにある自分の会社を譲り、新しい経験を求め2009年にここサンフランシスコにやってきました。英系のUNIT9社のSF支部の設立及びマネジメントとして仕事を始めました。2011年以降はビジネスが好調となり、コンテンツやコネクションも増え、とてもクリエイティブなデジタル広告会社として成長していき、私自身とてもいい経験を得たと共に、良い役職にも就くことができました。
 ここでフランスで出会ったマツタニさんについて紹介しましょう。彼は広島出身でUCバークレーを卒業、長年LAに住んでいた経験もある方でした。日本企業に就職し、フランスでの経験、そして東日本大震災が起きたのでした。震災の後、彼は今の充実した生活を変え、何かをしなければと決心したそうです。支援活動に参加、東北の現実を目の当たりにし、彼は今の役職を捨て家族と共に仙台に移り住み、新しくデジタルプロダクションビジネスを始めました。働く社員は地元仙台に住む人を採用し、技術を教えて、東北の経済と雇用を良くして行こうと。また、地元東北の人が仕事を持てるチャンスを与えるだけでなく、夢や希望、才能を伸ばすことなど、長い将来を見据えて若い人たちの手助けになるようにと。
そんな折、昨年私とマツタニさんは再会しお互いの今を語り合う機会があり、私は彼が行っている事業にとても共感しました。そこで私はディレクターとしてマツタニさんとASA Digitalをサンフランシスコに設立しました。

ASA Digitalの由来と今後の展望

弊社は仙台に本社を置く日系会社。サンフランシスコ支社は昨年10月に設立しバイリンガルのスタッフが働いています。東北では主にウェブサイトやアプリのプログラミングを行っています。サンフランシスコではアメリカのクライアントとのコーディネートやプロジェクトのマネジメントをして、東北にいるプログラマーへと仕事の依頼を伝え案件を進めています。
このような仕事の流れから日本とアメリカの時差の関係で、昼間受けた依頼が次の日の朝にはデジタルプロダクションとして出来上がるのでASA(朝)と名付けました。しばしばアメリカのクライアントからは他の会社との価格を比較されます。一社一社、我々の企業理念や遠く離れた東北でデジタルプロダクトしている経緯を丁寧に説明すると、しっかりと理解し快く協力してくれます。また会社スローガンであるHandcrafted in Japanとは、日本が独自に持つ手作業の技術力、綿密さと丁寧さにこだわった仕事により品質の高い製品を提供します、という意味の造語です。
今後は国際社会で活躍できる人材の育成が重要と考え、スカイプを通して東北のインターナショナル学校に通う学生とオンラインでインターンシップを行うというのを昨年初めて行いました。将来的には東北の学生をインターン生として受け入れる体制を作りたいと思っております。サンフランシスコで働く我々のミッションは、会社だけでなく東北の景気を良くすること、また東北の企業との関係を築き、そしてアメリカ企業により良いサービスを提供するという、国際的な発展のために今後も取り組んでいきます。