パロアルト市元市長

岸本 陽里子 さん

日本生まれアメリカ育ちの「カリフォルニア人」
価値観とビジョンを持つ事の大切さ


2017年1月27日
パロアルトの岸本陽里子元市長に話を伺った。岸本さんは、移民の家族に生まれ育った恥ずかしがり屋の子から、卓越したビジネスウーマン、著者、政治家、著名な環境保護活動家、そして二児の母と、様々な顔を持つ。日本生まれ、アメリカ育ちの岸本さんのアイデンティティを尋ねたところ、「私は、カリフォルニア人ですね。」と笑顔で語って頂いたのが印象的だった。

渡米
1955年に静岡県に生まれました。父は関西の出身で京都大学薬学部で博士でしたが、当時は日本よりアメリカの方が研究機関も発達しており、アメリカでの研究が多かったので、家族で移り住むことにしました。1957年、私が2歳のとき初めてアメリカのシカゴに来たのですが、外貨規制の為現金を海外にあまり持ち出すことが出来ず、父が2台のカメラを売ってお金を工面していたという話を聞きました。
そして二回目にアメリカに来たのは6歳の時、私は小学校の一年生として途中で現地の学校に入学しました。英語は一言も出来ない状態で、英語の発音、つまり「 L」と「R」の発音を聞き分けるのが難しかったんです。とても大変でしたが大人よりは早く慣れることができたと思います。4年生の兄の方はもっと英語に苦労していましたね。(笑)


私(2才・左)と兄(右)と母(中央)
日米交流に貢献する夢
私は学生時代はとてもおとなしく、恥ずかしがり屋のタイプだったので、まさか自分が政治家になろうとは全く考えていなかったんです。最初は科学に興味があったので、父のように科学者になろうと思って、コネチカット州ウェズリアン大学に入学しました。大学2年生のとき、京都で一年間留学する機会があったのですが、大学や街がすごく気に入ってしまい、何か日米の役に立ちたいとの思いで、東アジア研究に専攻を変えてしまったんです。  ウェズリアン大学を卒業した後、スタンフォード大学のMBAプログラムに進学しました。仕事の経験もまだあまりなかったので、2年間休学させてもらい、東京に行きました。一年目は勉強して、二年目は野村総研でマーケティング研究員として働きました。その時、東京で留学していた現在の主人と出会いました。アメリカに戻り、スタンフォード大学院を卒業したら、博士課程に進むか起業の道を選ぶのかいろいろ考えていたのを覚えています。


岸本さんの母校でもあり、
パロアルトのシンボル・スタンフォード大学
日米起業を 応援するビジネス
1981年に「Japan Pacific Associates」というコンサルティング会社を設立しました。日米ハイテク企業向けにマネジメントコンサルティングやマーケティングの相談などを行い、日本のベンチャー企業とアメリカのベンチャー企業を繋げることによって、日米企業を応援するビジョンを持っていました。しかし、文化の違いから大変な事も多かったです。例えば、日本の会議のやり方とアメリカの会議のやり方は全然違うんですね。アメリカの起業家は日本の起業家と違い、改まった会議はしないし、あまり前以って計画しない傾向にあります。日本のスタイルは、資料作成など事前準備がものすごく多い。そういった違うカルチャーの人達をつなげるのも一苦労です。(笑)  1985年に多くの日米テクノロジーベンチャー企業が参加した「Networking Japan」というカンファレンスを東京で開催しました。日系ベンチャーとInc Magazineがスポンサーになってくれ、大盛況のイベントになったのを覚えています。


アジア人初の市長誕生を伝える地元紙
アジア人初の Palo Alto市長誕生秘話
二人の子供に恵まれたお陰で、子供を育てるより良い環境を作りたいという思いが強くなり始めました。カリフォルニアは車社会ですね。以前は子供が学校まで歩いていたけど、最近の子供たちは、両親に車で送ってもらう方が多いです。パロアルトはダウンタウン界隈を中心に歩ける街なので、その素晴らしい環境を失くしたくないと強く感じ、市議会に通い始め熱心に活動をしている内に市議に立候補しませんかと友達に言われはじめましたのがきっかけです。一番最初は出来ない、やりたくないと思いましたが、「草の根」キャンペーンを始め、一軒一軒ご自宅を回っている間に選挙活動は面白いなと感じるようになりました。私のキャンペーンは歩ける社会、最高の環境基準、市民の人が参加できる透明な政治と活発なダウンタウンを目的としていました。パロアルトは9名の市議がおりその中から選挙で市長を決めます。

Sustainable Bay Area
私は、環境の重要性を特に感じていました。現在、「Midpeninsula Region-al Open Space District」や「Friends of Caltrain」などの社会運動団体に所属しています。
「Midpeninsula Re-gional Open Space Dis-trict」 は、サンマテオ群とサンタクララ群のオープンスぺースを皆さんのために保存することを目的としています。1972年に設立したとき、シリコンバレーはどんどん拡大して、オープンスペースが少なくなっていく状況でした。多くの市民から環境破壊の不安が聞かれるようになり、ベイエリアのオープンスぺースを統轄させて、「sustainable Bay Area」を作ることの重要性を改めて感じました。
もう一つの活動は、「Friends of Caltrain」と言いましてCaltrainに乗る人の声を聞いて、Caltrainを応援するために2010年に設立した組織です。現在では利用者の方がかなり増えて頂いて経営面でも問題はないのですが、以前は大変な時期もありました。更なる利便性向上に向けて活発な活動を行っており"Friends of Caltrain Summit"などを定期的に実施しており、現在3000人以上のメンバーがいます。


今月ミャンマーに行った際に描いた作品
明確的なビジョン
市長のとき、様々なリクエストをもらいましたが、グリーン経済を通じてのイノベーション「green economy through in-novation」を自分のビジョンに掲げていました。周りの人からの様々なプレッシャーがあり、色んな選択がありますけど、一番大事なのは自分の価値観、明確なビジョンをはっきりと持ち、信じてそれを実行することだと思います。 
Jweekly の多くの読者の方も、日本人、日系人の方が多いと思います。政治、環境問題に興味のある方達とぜひ今後も一緒に活動をしていければと思います。

岸本 陽里子

静岡県生まれの日系カリフォルニア人の二児の母。2007年には海外生まれのアジア人初Palo Alto市長になった。2010年に、Midpeninsula Regional Open Space Districtのボード長に選ばれ、現在に至る。また、Friends of Caltrainというカルトレインを維持する団体に務める。コネチカット州ウェズリアン大学で東アジア研究の学士号、スタンフォード大学で経営学修士号を取得。趣味は油絵。