良い料理というものは、 誰しもを喜ばすことのできる  ひとつの武器

サンフランシスコ日本国総領事 公邸料理人
松田 雅俊(まつだ まさとし)さん
徳之島出身。鹿児島市の料理学校卒業後、地元のホテルを経てなだ万にて10年程勤務。29歳で東海三県調理師大会の和食部門で準グランプリ、東海農政局長賞受賞。その後在NYの国際連合日本政府代表部国連大使公邸料理人、在ローマのイタリア日本大使公邸料理人、日本のミシュラン二つ星レストランでの勤務を経て2021年9月よりサンフランシスコ日本国総領事公邸料理人を務める。2016年、当時の岸田外務大臣(現総理)より外務大臣表彰を受け、優秀公邸料理人、優秀公邸料理長の称号も得る。






なだ万料理人、在NY国連大使公邸料理人、在イタリア大使公邸料理人を務め、2016年外務大臣表彰を受賞、「優秀公邸料理長」に認定され、現在サンフランシスコ総領事館にて公邸料理人を務める松田雅俊さんにお話を伺いました。       

どんな子供時代でしたか

 僕が18歳まで過ごした鹿児島県の離島、徳之島は当時コンビニもないような田舎でしたから、魚釣りをしたり山に虫取りに行ったりと自然の中で遊んでいました。中学生になると友達と素潜り漁で魚を取り、そのまま海辺で刺身にしたり、焼いたりして食べるというのが一番よくやっていた遊びです。

料理の道に進もうと思ったきっかけは

 小学校の頃から料理が好きで、いろいろ作っては家族にも食べてもらっていたのですが、特に一歳上の兄にいつも「お前の料理おいしいわ!」と言ってもらえ、それが嬉しくて次はもっと難しい物を作ろうと思うようになりました。今思うと自分で作るのが面倒な兄にうまく騙されていたのですが(笑)。でも自分自身でもおやつが食べたい時はお菓子を買ってくるのではなく、白玉粉を買ってきておだんごを作り、きな粉につけて食べるような子供だったので、美味しいものを作るのが好きだったのですね。色々な料理を作るうちに、こんなに楽しい事を仕事にできたらいいなと思ったことがきっかけです。

 父も、庭で飼っている鶏や豚、イノシシなどを、客が来たらつぶす、魚も採ってきておろす、という人でしたので、自然に舌も肥えていっていたのだと思います。

調理師学校を経て、鹿児島の温泉ホテルでの勤務、そこからなだ万へ大抜擢されたとのこと

 ホテルで4年ほど勤め、仕事の流れも分かってきた頃、田舎料理ではなくもっと新しい世界を見てみたい、県外に出たいと料理長に相談したところ、なだ万に紹介してもらえたのです。そのホテルでは最後まで僕より下が入って来なかったためずっと下っ端で、いつも最初に出勤して先輩たちが仕事をしやすいように準備をするような立場だったのですが、なぜか料理長が推してくださいました。この子は大丈夫だと。

駆け出しの頃の苦労や忘れられないエピソードは

 忘れられないのは、最初に入ったお店の初日に、先輩から入社祝いだと天然鯛を渡されて「三枚に下ろせ」と言われた際のこと。鯛の身がボロボロになってしまったのですが、その時の悔しさ、そしてそこから数ヶ月で綺麗に下ろせるようになった時の嬉しさは今でも決して忘れることができません。その後様々な辛いことを乗り越えられたのも、この経験があるからとも言えます。

 当時の料理界はとても厳しくて、長時間労働、休日出勤、先輩からの理不尽な指導なども全て「修行」の一言で片付けられる世界。10人新人が入っても3年後には1人残っていれば良い方でした。僕も当時は肉体的にも精神的にも限界で、真剣に料理をすればするほど今まで楽しかったはずの料理が嫌になり、辞めたい辞めたいといつも思ってました。3年というのは仕事の流れが掴め、余裕や自信が出てくる頃で、それが「自分はデキるんじゃないか」という勘違いに繋がる。それが勘違いだと気づいた時に、多くの人は挫折してしまうのです。しかしそこでそれを乗り越えようと更に勉強を続けていくと次が見えてきます。

 本当に大変な10年でしたが、今思うと30歳までの修行期間が辛いのは当然で、そこで必死に頑張っていなかったら30歳を超えてからの幸せはなかったと思います。

 最近は30歳を過ぎても料理人を単に「生業」ととらえている人が多くなったように感じますが、僕たちの頃はトップになりたい、料理長になる、もしくは自分の店を持つなどという夢がありました。職業として与えられた仕事をこなし続けていくというやり方ももちろん立派なことですが、僕はそうではなかった。

なだ万勤務から公邸料理人になった背景は

 NYの国連大使の公邸料理人として誰か紹介してほしいという話がなだ万にあり、手を上げた数人の中から選んでもらえたのです。NYでの勤務後、その国連大使が次にイタリアに赴任になり一緒に来てほしいと。イタリア大使館での勤務後なだ万に一年、そして京料理のレストラン勤務。そしてこの度、川村総領事に紹介していただき、サンフランシスコでの勤務となりました。

 公邸料理人の魅力はなんと言っても、メニュー考案から買い出し、料理まで全て自分でできること。全部やるなんて大変だなと言う人もいますが、一人でやることで仕事もスムーズに進みますし、僕は先付からデザートまで全部考えていいんだ、ととても嬉しかった。

 大きな組織にいると、料理人がそれぞれ焼き物担当、お刺身担当など部署に分かれて仕事をするので朝から晩まで同じ料理をすることになり、広がりがないのです。また、自分がその店の味をどう思おうと(正直、美味しいと思えないものであっても)その味にしなければなりません。今は、自分でこれが最高だと思ったらその味に決められる。もちろん、ゲストに美味しいと思ってもらえるものを作らなければいけませんし、食の安全を守るなどの責任はすべて自分一人にかかるので、責任重大ではありますが。

公邸料理人というお仕事について教えてください

  公邸での会食は、外国の方々に対する和食のPRの場所です。和食の特徴は、色々な植物の葉や花、野菜の飾り切りなどでお皿の上で季節を表現するなど、目で見て楽しませられること。そして素材の味を活かす調理法 ー シンプルな味付けでも食材の持っている旨味を最大限に引き出す事ができることです。ユネスコの無形文化遺産に登録されたということもあり今世界中で和食は人気がありますが、和食を既にご存知の方にも新しいもの、ちょっと良いものを知っていただきたい。料理を通して日本の素晴らしさをもっと知って欲しいのです。

 僕は、料理というものは良いものを出せば誰しもを喜ばすことのできる、ひとつの武器だと思っているんです。ただの腹ごしらえの手段などではない、特別なものを作ってゲストを驚かせたい、喜ばせたい。僕からしたら何回もある会食のゲスト(何百人、何千人)の中の1人でも、ゲストにとっては僕の料理を食べるのは1回、多い人でも数回程度。毎回その日のゲストの心に残る料理を出そうという思いが僕のモチベーションです。

 食材の組み合わせや色合い、器の中の全ての食材の食感、大きさや形、食材同士の相性を想像して出来上がったイメージに、これだったらこれくらいの味付けだなと決めていく。こういった工程の中で、手間暇を掛けた分だけ、工夫を凝らした分だけ、きちんとゲストの反応として返ってくるのが料理なのです。料理が素晴らしければ料理一つで会食の話題も盛り上がり、和食の魅力を知っていただけます。このお仕事で少しでもそんなことができればと思っています。

日本国外では手に入る和食の食材がかなり限られるのでは

 サンフランシスコに住まれている皆様のおかげで、ここでは日本の物が手に入りやすくてとても助かっています。でも欲しいものがない時などは既存の考えにとらわれずに色々なもので試作、試食を繰り返します。

 たとえばイタリア勤務の頃、ローマでは冬になると、殆どサラダなどで食べられているプンタレッラという野菜が出回るのですが、それを煮浸しにしてみようと。繊維を断ち切るような切り方にしたり、普通の煮浸しよりも油を多めにいれ炒める時間を長めにするなどの試行錯誤の結果、サラダにするよりほのかな苦味と香りが増し、出汁にもプンタレッラの旨味が出て大変好評でした。

 また、日本ではあまり出回らない生のフンギポルチーニを松茸御飯のように炊き込み御飯にしたところ、どうしても食感が柔らかくて全く合わない。ポルチーニのリゾットなどはあの米の柔らかさだからこそ食感が合うのですね。普通の大きさで天ぷらにしてもやはり中が柔らかく合わない。そこで薄くスライスして高温で天ぷらにし、サクサクになるまで揚げて餡掛けにしたら相性抜群でした。

責任重大なお仕事にプレッシャーを感じることは

  プレッシャーを感じたことは一切ありません。最大450人、各14、5品を出す会食を担当したこともあり、3日間で数時間しか寝られませんでしたが、むしろ「いくらでも来いよ」という感じです(笑)。ゲストがVIPになればなるほどテンションが上がるので、願わくばこちらでの任期中に総理大臣や皇室の方などに来ていただきたいくらいです。

 ただ責任はとても大きいと思います。決められた時間に最高の料理を出すために気をつけていることは、体調管理です。体調を崩したら味付けもうまく出来ないし、そもそも替わりもいません。NY、イタリア、サンフランシスコと今のところ風邪ひとつひいたことがありません。

 そして最も気をつけないといけないのが食材の管理です。僕は美味しい物を出すより大事なことは安全な物を出すことだと思っています。「安全で安心、そして美味しい料理」を出すために、緊張感を持ち真剣に業務に取り組むことは、公邸料理人としての一番の責任だと思います。

今後の目標や夢などは

 故郷である徳之島で自分の店を出すことです。18歳で島を出てからほとんど帰れない状況が続いていますが、徳之島はとても美しい島で、2021年世界自然遺産に登録されました。これからは沢山の方々が来島することが見込まれますので、徳之島でとれた魚や地元ならではの料理に、今までの経験を詰め込んだお店をやることが目標です。

プライベートでは何を

 料理は体力仕事ですし(万歩計を付けたら一日三万歩いったことも)、趣味は体を動かすことなので、自転車で街を探索したり、色々なお店で食材を見て回ったりしています。サンフランシスコのどんな坂でも自転車で登れますよ(笑)。サンフランシスコは街並みがきれいですし、気候も良く、人もすごく温かい方ばかりで、とても過ごしやすいですね。

Jweekly読者に一言

  明けましておめでとうございます。サンフランシスコという素晴らしい場所で生活ができることに喜びを感じています。微力ながら料理を通して日本の素晴らしさを発信出来るように努力していきます。街などで見かけた時は気軽に声をかけていただけたら嬉しいです。これからよろしくお願いいたします。

松田シェフは「食の外交官」
川村 博司 サンフランシスコ日本国総領事

和食は2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。国によっては「なんちゃって日本レストラン」も多い中、私どもは政府をあげて引き続き真の和食の普及に努めています。そんな中、松田シェフは、ミシュラン二つ星の日本レストランで磨かれた技術も駆使し、真の和食以上の料理を提供してくれており、まさに「食の外交官」として大活躍してくれています。味はもちろん、一品一品の料理が芸術的作品と言っても過言ではなく、お客様にはいつも喜んで頂いております。私の唯一の懸念は、彼のような素晴らしい料理人に巡り会ったことで、私の残りの人生の運をすべて使い切ってしまったのではないかとの点です(笑)。