青木洋一郎さん / Stereographer 立体映像演出

制作に携わった「ROGUE ONE」の試写会にて(左)
Lumiere Awardの2D-3D部門受賞、会場にて(右)

青木 洋一郎(あおき・よういちろう)
1978年生、宮城県出身。2000年に米Willamette大学、デジタルハリウッド東京本校にて学ぶ。卒業後、株式会社トマソン、株式会社オムニバスジャパン等を経て、立体映像 / 2D-3D変換の世界に飛び込む。2010年にStereoD LLCの設立に参加し、「タイタニック 3D」「Jurassic Park 3D」、「GODZILLA ゴジラ」などの3D演出を担当。2017年「Star Wars : Rogue One」と2019年、「Ready Player One」にてLumiere Awardで2D-3D部門受賞。 2019年DENGに移籍。

ハリウッドを舞台に、誰もが知る世界的に有名な映画の3D化に取り組む青木洋一郎さんに、今回 J weekly がお話を伺いました。


どのような子供時代でしたか。

父親の仕事の関係で転勤が多かったので、いろんな街に住みました。そのため新しい人と出会っても、人見知りせず友達ができる子供でした。初めて好きになった映画はBack to the Futureです。あの映画の空飛ぶホバーボード、デロリアンの特殊効果、CGに驚き、影響を大きく受けました。

学生時代の留学体験について

高校1年の頃に1か月サンディエゴにホームステイをしたのが最初の海外経験でした。ホームステイの最後にパスポートを盗まれる事件があり、帰国できないのではないかという状況も経験しました。帰国用の仮パスポートを発行してもらい無事に帰ることができました。命の次に海外で必要なものだと思っていたので大変ショックでしたが、人生何とかなるものだという事を実体験して大きく成長した時期になりました。

また、通っていた東京国際大学の制度を利用し、オレゴンにある姉妹校のWillamette Universityに1年間の語学留学をしました。その後、編入・奨学金試験を受け2年間同大学に正規留学しました。将来映画の仕事をしたいと夢見ていたので芸術を専攻しました。

2020東京オリンピック公式映画監督の河瀬直美監督と(左)
第10回Lumiere AwardにてTim Broderickと(右)

ハリウッドで働き始めたきっかけ

Willamette大学を卒業して、日本に帰国し東京国際大学の4年次に通いながら、同時にデジタルハリウッド大学でコンピュータグラフィックを学びました。両校を卒業した後、東京のCGプロダクションに就職し日本で約7年働きました。しかし本場ハリウッドで映画の仕事をしたいという夢を諦められず、いくつかCGプロダクションを転職していく中、まだ3D映画が世の中に全く公開されていなかった2008年に、2Dの映像を3Dに変換するという技術を持つベンチャー会社の方にお誘いを頂きました。

初めてその技術を見たときはBack to the Futureを見た時と同じように「これは未来だ!」という衝撃を受け、また「この技術は自分を映画の世界に導いてくれる!」というインスピレーションを感じその会社に就職しました。

しかしながら、2009年にアバターが公開される以前には3D映画の需要は全くなく、会社の経営も危うくなっていきました。アバター公開のちょうど一年前頃、アバターに出演していたジョバンニ・リビシという俳優とハリウッド映画のプロデューサーが私が働いていた会社の「2D―3D変換」技術に興味を持ち、ハリウッドにプレゼンテーションに来てほしいという依頼を受け、英語が喋れる私と上司でLAに来ました。プレゼンを気に入ってもらい、「ハリウッドで新しいビジネスを始めたい。労働ビザを出したら働いてくれるか」と言われたのが渡米、ハリウッドへのきっかけでした。

「2D―3D変換」とは、どのような技術でしょうか?また利点とは。

3D映画はカメラ2台を使って右目、左目の視差のある映像を撮影するのが一般的な印象だと思います。しかしながら、現在公開されているほとんどの実写映画は2D―3D変換という技術を使って3D公開されているものばかりです。

実写映画の場合は、2つのカメラを設置して立体撮影をすることはとても大変です。機材が大きく場所の制限、自由に動けない、撮影ミスが多い、予算がかかる、俳優さんの待ち時間が長くなってしまうなどのデメリットがあったり、昔から2Dの撮影をしてきたカメラマンや監督が3Dに慣れていない、好まないなどのスタジオサイドとの意向の不一致などが出てきます。

そこで私たちの会社に2Dで撮影した映画を渡してもらい、ワンカットづつ俳優さんから小道具までロトスコープで切り離し、コンピューター内で実際の撮影現場にあったような空間を擬似的に復元し、2つのカメラで撮影しなおすというのが概要になります。

3D撮影するよりも予算も少なく、時間も短縮になるためスケジュールも調整しやすく、3D空間の演出も自由に変更できるので、配給スタジオにとってとても融通が利くプロセスになります。
 
その後ハリウッドで働く中で、人生の転機といえるエピソードは

ジェームズキャメロン監督からタイタニックを3Dにしたい、という依頼がありうちの会社が選ばれました。しかし、同じ会社のスーパーバイザーは「King of 3D」とも言われているキャメロン監督の対応や厳しい、大変なプロジェクトだという事を嫌がり、誰も担当をしたがらない状況でした。そこで私が担当に立候補しました。

1年以上かかった大プロジェクトでしたが、キャメロン監督と仕事ができ、ロンドンのワールドプレミアにも招待していただき思い入れ深い作品になりました。

その後、スティーブン・スピルバーグ監督がジュラシックパークを3D化したいという時に、キャメロンのチームが「タイタニック3Dを担当した同じチームに任せるのがベスト」だと言ってくれたようで、子供のころから好きだったジュラシックパーク3Dの空間演出を担当する運びになりました。まさか自分が子供の頃から大好きなジュラシックパークの3D公開に携われるとは夢にも見てませんでしたし、スピルバーグ監督と対話することができたのは私にとって大きな出来事でした。

その後はタイタニック、ジュラシックパークの3D化の実績を買われ、大きな映画の担当になることがどんどん増えていきました。加えてキャメロン監督とはターミネータ2、スピルバーグ監督とはThe BFG, Jurassic World, Ready Player Oneで一緒に仕事させていただきました。またStar Warsのスピンオフ映画、Rogue One, Soloも担当しました。

「GODZILLA ゴジラ」ギャレス・エドワーズ監督と(左)
俳優のジョバンニ・リビシと(右)

お仕事で最も好きな瞬間とは

今まで2D映画しか撮影していなかった大御所のハリウッド監督にとって、2D―3D変換は全く新しい技術なので、私達に頼るしかないという事もあり、みなさん興味をもって話しかけてくれます。映画全体の3D演出を任せられるポジションなので、大御所の監督と打ち合わせをする機会も多いです。責任も大きいですがなかなか体験することはできないことなので、やりがいを感じ、映画全体に愛情を注ぐことができます。

日本人としてハリウッドで働く中での苦労とメリットは

英語がネイティブでないという事ですね。特に監督と話をしなくてはいけない時の緊張はとてつもないものです。伝えたいことが100%伝わっているのか、私が監督の意向を100%理解できているのか不安になることは多々あります。しかし、長年一緒に仕事をしているプロデューサーの理解とサポートもあり頑張れています。

メリットは、ハリウッドでは日系コミュニティが狭いので多くの偉大な方と知り合う機会が身近にあることですね。2019年に行ったShort Shorts Film のイベントでは東京オリンピック公式映画監督の河瀬直美さんと知り合い、クリエイティブのことで盛り上がりました。今ではすごく仲良くさせてもらって、監督の前向きな姿にいつも刺激をもらっています。

アメリカと日本の映画業界の違い

仕事に対しての向き合い方の違いは感じます。日本人の方が積極的に仕事をする姿勢が培っていると思います。私はよく仕事しすぎだと言われますが、日本では当たり前の量だったので少し頑張るだけで認められやすいという利点はあります。

日本の映像業界は一人が色々な仕事をこなすという事が当たり前でしたが、アメリカは分業制なので、手助けをしてほしい時に融通が利かないということも多々あります。しかし、それぞれの分野で特化し、就労時間の中できちんと仕事を終わらせ、週末や休日はしっかり休むをいう文化はとてもリスペクトできるなと思います。

人生のモットーや座右の銘

母親からの「失敗をいい経験にする」という言葉は大切にしています。その言葉通り、私の人生はやらないで後悔するならやって後悔、何事にも挑戦していくという姿勢でいます。パスポートを盗まれた時も、もう二度と海外に行かないだろうと思うのとは反対に、パスポートを盗まれてもなんとかなるんだという良い意味で楽観的な性格になることができました。

Jweekly読者に一言

ハリウッド映画には結構日本人が裏で活躍しています。是非映画館に残ってエンドロールの中から日本人の名前探しをしてみてください。