生徒作文コーナー:「ぽっぽばあちゃんとの思い出」

サンフランシスコ日本語補習校  中高部サンフランシスコ校 中学部2年 中川 雅(なかがわ みやび)さんの作品をご紹介します。

「ぽっぽばあちゃんとの思い出」

サンフランシスコ日本語補習校 中高部サンフランシスコ校
中学部 2年 中川 雅(なかがわ みやび)

 私には、今年の3月に百歳になっていた、そう祖母がいました。私は、そう祖母のことを、「ぽっぽばあちゃん」と呼んでいました。どうして「ぽっぽばあちゃん」と呼んでいたのかというと、従姉が小さかった時に、ぽっぽばあちゃんが「はとぽっぽ」を歌ってあげていたら、従姉が「ぽっぽばあちゃん」と呼ぶようになったからです。それで、私達はいつも「ぽっぽばあちゃん」と呼んでいました。

 老人ホームから祖父に、

「ここ3日ほど、あまり食べられないようになっています。」

と5月の下旬に連絡が入りました。次の日に祖父母が面会に行って、私達もフェイスタイムをしました。母と妹と私は、

「ぽっぽばあちゃん。」

と何度も名前を呼びました。そうしたら、少しだけ笑ったような表情になりました。祖母が食事を口に運んであげて、少し食べていました。スポーツドリンクを凍らせた氷をよく食べていたので安心しました。私達は次の日もフェイスタイムをしました。その日はずっと目を閉じたままで、時々顔をしかめて、痛そうにしていました。その翌日の朝に、ぽっぽばあちゃんが亡くなったと祖父から連絡がありました。私はこのことを母から聞いたとき、心に穴が開いたかのように悲しかったです。ぽっぽばあちゃんとの思い出がたくさん思い浮かびました。コロナウイルスが流行してから日本に行っていないので、もう3年も会えていませんでした。また会いたいと思っていたので、本当に残念です。

 老人ホームに、ぽっぽばあちゃんの面会に行くと、いつも話していたことを思い出しました。

「おばあちゃんは長生きさせてもらったから、ばあちゃんが死んでも悲しまなくてええで。おばあちゃん長生きしたったな、いうて喜んでくれたらええんやで。」

それでも、もうぽっぽばあちゃんに会えないと思うと、とても寂しくて悲しいです。

 私がまだ小学校の低学年の頃は、祖父母の家の裏にぽっぽばあちゃんの家があって、遊びに行くとジュースをくれました。一緒にテレビを見たり、畑仕事をしているぽっぽばあちゃんに会いに畑まで行ったりしました。家族旅行で遊園地に行った時は、ぽっぽばあちゃんの車いすを妹と取り合うように押したことを思い出します。ぽっぽばあちゃんが病院に入院して、その後老人ホームに住むようになってからは、夏休みには面会によく行きました。母がぽっぽばあちゃんに、

「何か食べたいものありますか。」

と聞くと、ぽっぽばあちゃんはよく

「春の唐揚げが食べたいな。」

と言っていました。家の近くにある中華料理屋さんの唐揚げです。衣が天ぷらみたいで、パリッとしていて、私も大好きな唐揚げです。唐揚げを小さく切って持って行って、一緒に食べました。

 お盆に祖父母とフェイスタイムをしました。お仏壇のある部屋には、ご先祖様の写真が一枚増えて、ぽっぽばあちゃんの写真が飾られていました。やっぱりもう会えないんだなと思い、私は悲しくなりました。

 私はこれからも、ぽっぽばあちゃんのことを思い出して、忘れずにいたいと思っています。