生徒作文コーナー:「おじいちゃんとの将棋」

サンフランシスコ日本語補習校  中高部 サンノゼ校 中学2年 片山 悠(かたやま ゆう)さんの作品をご紹介します。

「おじいちゃんとの将棋」

サンフランシスコ日本語補習校 中高部 サンノゼ校
中学二年 片山 悠(かたやま ゆう)

 毎年夏、僕は日本に帰るとおじいちゃんと毎日のように将棋を打った。そして、いつも負けていた。勝ったことがあったとしても、それは一回だけだった。

 将棋を始めた頃、おじいちゃんは最初、飛車と角なしで僕と戦った。僕はそれでも負けた。そしてアメリカに帰るとその間、僕はお父さんと将棋を練習した。そしてお父さんにも負けた。Youtubeや本、色々な物を見て自分で将棋をした。そしておじいちゃんに会った時には、Youtubeで習ったことをやろうとした。でもできなかった。

 それでも毎年毎年、おじいちゃんとたくさん将棋を打っていたら僕は段々と上手になってきた。そして時々勝てるようになり、半分くらい勝てるようになった。でもそれはまだ飛車と角なしでの勝負だった。

 ある日、おじいちゃんは飛車と角を入れてきた。そしてその対決で僕はぼろ負けした。おじいちゃんに飛車と角が入ると難しさは増し、今までの考え方や勝つ方法とは違い、このやり方に慣れていなかった僕にはこれがとても難しかった。

 僕は中学生になった。コロナで日本に行けない間はビデオ電話でおじいちゃんと話した。おじいちゃんはいつも
「将棋やっとるか?」
と僕に聞いた。その頃、僕はもう将棋を全くやっていなかった。僕は毎日、パソコンでゲームを楽しんでいた。おじいちゃんとのビデオ電話の後、お母さんはいつも
「次、おじいちゃんと将棋をやる時は 負けちゃうね。」
と言った。

 そしてこの夏、僕はおじいちゃんに久し振りに会った。会うとおじいちゃんが
「将棋やるか!。」
と言い、すぐに将棋が始まった。そして、最初はやっぱり負けた。でも数日後になんと勝てるようになった。嬉しかった。おばあちゃんからも
「上手になったね。」
と褒められ、みんなにも
「すごい!。」
と言われて嬉しかった。

 それからは僕は勝ち始めた。おじいちゃんとの対決の三分の一ぐらいは勝てるようになった。おじいちゃんの弱い場所を探せるようになってきた。おじいちゃんがミスをしたら八十パーセントぐらいのチャンスで勝てることが分かってきた。でもそんなに簡単に勝てはしない。毎回、おじいちゃんにミスをさせようと試みるが、そんなに上手くはいかなかった。

 でも僕がアメリカに戻る二週間前くらいから、僕は二分の一ぐらいの確率でおじいちゃんに勝てるようになり、将棋が本当に楽しくなってきた。明日は飛行機に乗ってアメリカに戻る、そんな最後の晩、おじいちゃんと対決した。これが最後の将棋、と思い僕は真剣に頑張った。そして負けた。

 帰る日、飛行機に乗る日、もう将棋をする時間なんてない、と思っていたが一時間くらい時間があることに気づき、僕はこの夏、最後の将棋をおじいちゃんとした。四十五分ぐらいの対決だった。いつも慎重、だけどいつもよりもっともっと慎重になった。僕もおじいちゃんもうんと考えた。そして僕が勝った。

 帰る一週間前ぐらいから最後は勝ちたい、と思っていた。そして勝てた。でも僕もおじいちゃんもちょっと油断すると負けてしまうのだからまだまだだ。
「また将棋しような。」
とおじいちゃんが言い、おじいちゃんは大きな手で僕の頭をなでて、僕を抱きしめた。前まで僕はおじいちゃんと別れる時、いつも泣いていたがもう僕は泣かなくなった。でも泣かなくても悲しい気持ちは同じだ。そして僕はまた一年、おじいちゃんと別れた。