Honestコーヒーをお届けするブルーボトルコーヒー ジェームス・フリーマン インタビュー

元クラリネット奏者のジェームス・フリーマン氏はリッチなこだわりのコーヒーを提供するブルーボトルコーヒーの設立者兼CPO(Chief Product Officer)。美意識のある伝説のコーヒー・メーカーとして全米で知られている。日本文化のファンでもあるフリーマン氏は、2015年に東京でブルーボトル二店舗を開店し、今年の初めにも新宿駅で三店舗目をオープン、今年の秋にも更に新店を開店する予定。今回は、ブルーボトルの日本での発展、それに伴うチャレンジと驚き発見についてフリーマン氏に話を伺った。

初めて日本を訪ねたのは

初めて東京を訪れたのは1985年でバブル経済のピーク時期。当時僕は19歳でクラシック音楽団のクラリネット奏者だった。当時の東京はとても華やかで魅力的なところで、僕はその大都会の雰囲気に憧れていたよ。

日本の喫茶店に影響

サンフランシスコベイエリアでコーヒービジネスを始め、数店舗を経営していた頃、2008年に再び東京に旅行した。その旅行で日本のコーヒー業界に興味を持ち、コーヒーの種類、作り方、こだわりを学び始めた。東京に着いた初日に、友人に初めて喫茶店へ連れて行ってもらい、その日は渋谷の「茶亭 羽當」や「大坊珈琲店」など有名店を含めて9店舗を訪ねた。日本の喫茶店では美味しいコーヒーだけでなく、インテリアデザイン、ホスピタリティーなど、アメリカでは体験できない高級サービスを楽しめ、大変感動したのを覚えている。音楽家として活動していたとき、何度も練習、復習して上達することを身に付けたが、日本の喫茶店の、音楽の練習と同じような仕事への献身的な姿を見て、感動したと同時に、とても落ち込んだ。まだまだ頑張らないといけないことが沢山あると分かり、日本の喫茶店と同じような優れた技能を応用し、自分のアイデアを自分の店舗で実行したいと思った。

日本でスタート

日本でブルーボトルをオープンすることは僕の夢だった。2010年にニューヨークの店舗をオープンした後、日本から複数のライセンスの問い合わせを受けていた。当時の調査によると、ブルーボトルコーヒーは日本人観光客に大人気のお土産だったようだ。
僕はビジネスの学歴はないが、自分のビジネスを自分で管理し、自分のコーヒーに対して誇りと責任を持っているので、日本の店舗は自身でオープンすることにした。たくさんの準備に努力と時間を要したが、スタッフの手配やロケーションまで全てがうまくいった。
清澄白河で初店舗をオープンした日は一生忘れない。清澄はとても静かで、穏やかな工業地域であり、一目で気に入り、初店舗は清澄白河にと決めた。清澄白河の地域住民はブルーボトルのオープンを楽しみにしてくれていたようで、大変話題になりとても驚いた。

HOSPITALITY RESPONSIBILITY SUSTAINABILITY

「HOSPITALITY・ RESPONSIBILITY・ SUSTAINABILITY」はブルーボトルのミッション。コーヒーはいかに美味しくても、大事なのは体験。お客様が店に入る瞬間から店を出る瞬間までお客様と心が繋がることが一番大事だと思っている。
僕の「ビジネス・ソウルメイト」とも言える厳選されたブルーボトルのスタッフは、お客様の表情を読めるほど細かいところに全注意を払ってくれるので、安心してスタッフに頼ることができる。また、日本はコンビニエンスストアから高級のお寿司屋まで、どこでも一流のサービスを楽しめる。将来は、ホスピタリティーの知識をシェアするため日本のスタッフをアメリカに招待したいと思う。
それぞれのお客様に「hon-est」コーヒーを届け、大切にし、コーヒーの美しさを感じてもらいたい。そして地元の好みに適応せずに、自分のパーソナリティーとテイストを日本に持って行きたいと思う。

日本で一番好きな場所

僕は日本に旅行することが好きで、特に東京市内でお気に入りの喫茶店を訪ねるのが大好き。更に清澄白河の店舗の近くにある有名な花見スポットも大好き。これからも一般のツーリストとして、北海道や直島などの田舎も観光し、美しいお店、美術、庭園を楽しみ、日本を体験していきたい。

J weekly 読者へのメッセージ
ぜひベイエリアの店舗に来店いただき、東京の店舗でも同じような体験を楽しんでいただきたい。