4月29日(日)、日本歌謡会のエンターテイナー吉幾三氏のファンクラブ「サンフランシスコ幾三会」がサンフランシスコのカラオケ・レストラン「山昌」で開催された。2012年12月26日の発足から5年半ぶりの会となったことから、遠方から駆けつけるファンなど150名で会場は満席となった。
福田充彦会長は「本当に多くの皆様に集まって頂きこんなに嬉しい事はありません。吉さんとも久々に会えて本当に良かったです。」と冒頭に挨拶。1984年のヒット曲「津軽平野」を千昌夫氏のモノマネを交えて披露、専属司会者である遠藤あきら氏との軽妙なトークで会場は爆笑の渦に包まれた。続いて1986年のミリオンセラー「雪国」、トニー・ペレット氏の「思い出のサンフランシスコ(I Left My Heart in San Francisco)」を英語で、そして今年3月にリリースされた新曲「男うた」を熱唱した。
最後は、大ヒット曲「酒よ」で締め長い芸能生活を振り返り涙しながらの歌となった。45周年という大きな節目を迎えた吉幾三氏に今の心境を伺った。
デビュー45周年おめでとうございます。45年間トップを走り続けてこられた成功の鍵をお教えください。
僕は1973年に「山岡英二」の芸名でデビューしたのですが、最初は売れなかった…。それから周りの人に恵まれて、そうですね、レコード会社のディレクターとか、僕の音楽性を理解してくれて、本当に全ての人に恵まれていたことです。感謝しています。
そして家族には一番助けられました。子供がね、書く字がどんどん上手になっていくんですよ。僕の誕生日に、子供ばかりでなく、今では孫もですけど「じいじ、何が欲しい?」って聞いてくるんです。いつも「手紙が欲しい」って言っているので、もういっぱい手紙があって。それをたまに読み返すと今でも目頭が熱くなっちゃって。支えてくれた皆さんのお陰ですね。
今回サンフランシスコでの幾三会は5年半ぶりですが、今後の活動の予定はいかがですか?
本来だったらファンクラブの方々には年に1回はお会いしているんですが、45周年ということで、これからはテレビやラジオは休ませていただきます。もう1年前から計画していることで、これからは南米と北米を旅したいです。「ケーラ」という南米独特のフルートのような楽器があるんですが、それについてもっと知りたいです。僕の「酒よ」のイントロで使っていて、前から興味があります。それが現地でどう使われているか、田舎の音楽はどうなのか見てみたいですね。
それからニューオーリンズやニューヨークでライブ音楽を聞きに行きたいです。今までショーは観に行ったことがあるんですが、ライブはなかったので。
今まで「パリの風に吹かれて」や「ヴェネティア物語」など外国の街について作詞したことがあるんですが、作詞した後に実際に行ったんですよ。行ってみると曲も変わったりして、実際に行ってみないとわかりませんね。
作詞作曲もご自身でされていますが、スタイルは?
僕は飛行機的なスタイルじゃないんです。在来線に乗って、ゆっくりと「この川はなんだろう」、「この橋はなんだろう」ってちょっと立ち止まって、記憶に留めるように写真を撮って行くスタイルです。
新曲の「男うた」も、仙台への旅の途中で福島に知ってる温泉宿があるもんでして、仲間と泊まりに行ったらご飯を食べている時に笹の葉に雨が落ちる音が聞こえてきまして、その音からこの曲が出来上がりました。特に45周年というのではなくて、ちょっとしたことを表現してみました。
ファンの方、読者の方へ
僕は今まで日本語でしか歌ったことがないですが、「思い出のサンフランシスコ」のような曲を日本語と英語で歌いたい。サンフランシスコの方々の為だけにでもいいし、今年中に作りたいと思います。