薩摩と会津のルーツがサンタローザのワイナリーで再会

茶の木植樹祭

秋の好天に恵まれた先日11 月7 日、サンタローザ市にある「パラダイスリッジワイナリー」で茶の木100 本の植樹祭が行われた。この木は1868 年、戊辰戦争で敗れた会津藩の侍と一行22 名が新天地を夢見てアメリカに入植した際、日本から持参した木の末裔とされる。彼らは、茶と絹の生産で生計を立てる目的で、ゴールドヒル(エルドラド郡)に「若松ティー&シルクコロニー」というファームを設立した。しかし当時、ゴールドラッシュの最盛期で水不足、濁水が原因で木は育たず、たった2 年でこのコロニーは破壊した。その後、この土地に残った「おけい」という当時19 歳で亡くなった女性の墓が発見された事で、若松コロニーの伝説が今も語り継がれている。
 今回、当時の会津若松由来の茶の木の再植樹を企画したのは、ロサンゼルス在住で全米日系人博物館で日系アメリカ人の歴史の説明員をしている馬上直(まがみなお)氏。福島県でお茶の先生をしていた先祖を持つ同氏は、ワインの産地で知られるナパで茶の木を自然栽培したいとファームを探していた。ちょうどその時、「若松コロニー」に用いられたとされる茶の木の末裔が存在する事を知らされた。2017 年、その茶の木の栽培をナパで始めたが、委託していたファームが今年移転する事で「パラダイスリッジワイナリー」に再委託先として申し入れた。奇しくもこの場所は1867 年、日本人最初の移民となり、後に「ワイン王」と呼ばれた薩摩藩士の長澤鼎が145 年前に設立した「ファウンテングローブ」の跡地だ。現所有者のByck Family ( ビック家)は、日本人開拓団のルーツがこの土地で再会することに因縁を感じ受け入れ、今回の歴史的な植樹祭となった。
 150 年前、会津若松からの日本人初のアメリカ本土移民集団が「若松コロニー」で成し遂げられなかった夢が薩摩藩士長澤鼎の「パラダイスリッジワイナリー」で蘇る。

パラダイスリッジ所有者のビックさん(中央):ジョイス・キルマーの詩集の中から、「木」という自然の美しさと逞しさを綴った詩を読み、参加者の感動を誘った。

植樹祭には住職の八木さんがお経をあげ、茶の木の健やかな成長を祈った。

所有者Byck Family の長男レネさん(写真右)「サンタローザ市は鹿児島市と姉妹都市。これからも両都市の教育と発展の架け橋になりたい」と企画者の馬上直さん(写真左)「この歴史的イベントが皆さんの協力によって実現でき感無量です」

パラダイスリッジワイナリーの葡萄畑の横に100 本の茶の木の苗が植樹された。

黄金色に輝くパラダイスリッジワイナリーのブドウ畑

(写真&文:Elli Sekine)

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