インタビュー/グレディ摩利⼦さん

聴き手:飯島有輝子@Happier (www.happiergifts.com)

プロフィール
三重県伊賀上野市出身。一橋大学法学部卒業。大学在学時より「パパ・タラフマラ」のパフォーマーとしての活動を開始し、2012 年の同グループの解散まで、オリジナリティー溢れる身体ムーブメントと Voiceを駆使したパフォーマンスで主演女優をつとめる。2013 年、発酵所「叡伝」をサンフランシスコにて起業。手作りの麹を元にした味噌、塩麹、甘酒等の発酵食品を、ベイエリアの人気レストラン、ストアに販売。毎週土曜日開催のフェリービルファーマーズマーケット、味噌作りクラス、麹クッキングクラスを通して、発酵食品の魅力を伝えている。2022 年 3 月、念願の叡伝キッチンである「Aedan koji Cafe」を 613 York ST SF (アウターミッション)にオープン予定。夫、子ども、猫と共にサンフランシスコ在住。海のそばで暮らしている。

◆叡伝という味噌を伝えるビジネスを始めたきっかけ・背景を教えてください。 

 母の手作り味噌で育ちましたが、小さい頃から味噌汁が大好きでした。東京の助産院で娘を出産した際、いただいたアドバイスが「退院後1週間は台所には立たずに、ケビンさんに味噌汁を作ってもらいなさい。」でした。アメリカ人の夫が奮闘しながら味噌汁を作ってくれたのは今でも良い思い出です。サンフランシスコに移住する前、日本では舞台のパフォーマーをやっていましたが、海外のツアーに出る時、必ず味噌と梅干しは持っていきました。こちらに来てから、家族のために味噌を仕込んだり、娘の小学校で味噌作りクラスをボランティアでさせてもらったりしていたのですが、大きな転機となったのは、311の東北大震災でしょうか。被災地支援のため「折り紙ナイト」というファンドレイジングイベントを小学校で開催した際、子どもたちと仕込んだ味噌が、味噌おにぎりとなって大活躍しました。電力に頼らず菌や自然の力を活かす発酵、常温で熟成させる味噌は緊急食糧として生かせる、ここベイエリアにもっと味噌作りを広めたいという気持ちが次第に芽生えていきました。その後、自然と共存すること・食をテーマとしたメルマガを日本人コミュニティーに発信しながら、少しずつ発酵の輪が広がり、自然と叡伝というビジネスにつながっていきました。元々父の実家(三重県の青山)が味噌・醤油屋をしており、母の実家は豆腐屋、もう味噌汁を作る運命だったのかもしれません。

◆アメリカでの「味噌」や「日本の食」について伝えること

 初めて味噌を仕込んだ時、驚いたんです。味噌って大豆と麹と塩というとてもシンプルな材料でできること、そして約半年の発酵期間の後、蓋を開けてみたらしっとり香り豊かな味噌に大変身すること。だから、アメリカの方にお伝えするときにも、自分が感動したポイントを大事にしています。味噌、酒、醤油、味醂という日本の発酵調味料全て、『麹菌の力』と『ゆっくり待つ』という【発酵時間】の中で生まれるんですよね。食べ物が育った過程や背景を知ることで、食べ物に対する興味やリスペクトが生まれてくるのかもしれません。そうした意味からも「作られる過程の共有」を大切にしたいと思っています。フェリービルディングのファーマーズマーケットでは、発酵調味料を使った“ミニ弁当”を出しているんですが、目でも舌でも味わっていただけるようにしています。【ミニ弁当】が日本への小さな入り口になれたら嬉しいです。

◆アメリカでの味噌の使われ方・ベイエリアのニーズに合わせるポイントなど

 味噌汁を自分で作ってみたいという方も多いですが、そのほかにも色々な使われ方してますね。魚を味噌でマリネして焼いてみたり、ドレッシングのIngredientsとして使ったり、野菜炒めの隠し味に使う方もいます。味噌を伝えるのは比較的難しくありませんでしたが、起業した7〜8年前はまだ麹や塩麹はまだ浸透していませんでした。ベイエリアのカルチャーとして独創性、知的欲求、チャレンジ精神や創造性の高さがあり、説明を聞くと試してみようという人も多く「塩麹が私の人生を変えた!」と感動する人も出てきました。あと、最近レストランで麹や塩麹、味噌を使ってくれるところも増えてきて、名シェフの手によって叡伝の発酵食品がオリジナリティー溢れる一品に加えてもらえるのは本当に嬉しいです。そのためにも、変わらぬ質と味を提供し続けることが、大切だと思ってます。毎週土曜日午前中、サンフランシスコ・フェリービルディングでのファーマーズマーケットで丁寧に味噌の使い方・頂き方を説明することで、初めて見る食べ物もみなさん素直に試してみるのがサンフランシスコらしいところです。

◆味噌ワークショップを開催のエピソードを教えてください パイナップル味噌?!

 アメリカで味噌作りワークショップを開催し、旨味の説明をすると、「肉でも味噌が出来るのか?」と質問してくれる人がいます。ベイエリアのシェフからも、様々な食材で仕込んだと味噌(?)をサンプルとしていただくことがあります。何を味噌の材料にするかという固定概念がなく、これまで、パイナップル、かぼちゃ、キウィ、小豆(スターチの効果で少し甘くなる)、ブロッコリーで作った味噌を試食しました。聞いた情報に自身の文化やバックグラウンドという“味付け”を加え「こうしたらどうなるだろう」という実験を加えるのが、サンフランシスコベイエリア流とも言えるかもしれません。

◆日本の伝統をビジネスにする際の留意点(文化の違い、驚きなど)

 日本語の名称、日本語の音や響きなども大切にしています。三五八ソースを「ピクルスソース」にすることも考えましたが、結局日本語の語感・響きを残すことにしました。分かり難い名称で初めはどうかなぁと思いましたが、結果、商品のユニークさ・独自性が際立つことに繋がり、良い結果となりました。商品ラベルにも漢字名を残したり、自分が懐かしい、美しいものと感じる色、形にこだわって、日本人デザイナーの方に時間をかけて作ってもらいました。自分が日々触れるものにつながりや愛を感じることを大事にしてます。

 また、小さくコンパクトにする、無駄を省く、一つの物や場所をシェアする日本の工夫が米国でもっと取り入れられたら良いのにと思うことがあります。例えば、開閉だけでも面積を要するドアを引き戸にしたら小さなスペースで済みます。深い浴槽にじっくり浸かる・洗い場で先に汚れを落としてから浴槽のお湯を家族でシェアする、布団を上げ下ろして一つのスペースに多様性を持たせるなんていう日本の習慣って素敵ですよねえ。文化の違いからなかなかそうはならないけど、「暮らしかた」「さりげない工夫」という“智慧”に、カリフォルニアで注目される日本文化のエッセンスが含まれていると感じています

◆ファーマーズマーケットを長く続けられる理由(エイデンのチーム力とは)

 継続することで得られることってあると思うんです。日本での仕事はパフォーマーだったんですが「パパ・タラフマラ」という舞台グループに旗揚げから解散まで30年在籍しました。トレーニングすることによって少しずつ目覚めていく身体感覚や声があること、小さかったグループが変化成長していく変遷、ここでの時間全てが今の私に生かされていると感じます。フェリービルディングファーマーズマーケットで叡伝はデビューしたのですが、初めは、多くの友人、家族にボランティアとして支えられ、次第にチームメンバーが結成されていきました。毎週マーケットに小さなブースを建てることで、集まってくれるメンバー、お客さん、そして一緒にコミュニティーを作る周りのベンダーさん、その変化も成長も、継続しているからこそ培われることありますね。これが私と叡伝の財産になっていると感じます。

 私を産んでくれた父母との関係を一つ目の家族とするなら、東京の劇団は二つ目の家族。ファーマーズマーケットは三つ目の家族でしょうか。ファーマーズマーケットのベンダー仲間にもチームメンバーにも、お客さんとも、家族みたいな温かいつながりを感じています。

◆「隊長」としてのリーダーシップの秘訣は?

 どんなハプニングが起きても、イマジネーションを使って「ぷっ」と笑って済ます術と、そこからなにか学んでいく習慣は、劇団の過酷な日々から培われました。20代前半から後半にかけて、公演直前に熱を出しては、数日伏せるのが恒例で、初のイギリス、ドイツなどの海外公演でも、万全の備えをしているのにかかわらずホテルに着くや否や体調を崩す始末。ある時、「風邪を引いてはいけない、迷惑がかかるという不安とプレッシャーが風邪の原因だ」と気づいた時から、体調を崩すということがなくなったんです。不安の解消が先か、体質改善が先だったかは覚えてないのですが『不安が不安を顕在化させ、安心が安心を生む』のを体感しました。リーダーシップが自分にあるかどうかはわかりませんが、いつ何するときでも楽しみたいというのはありますね。嫌なことはやらない、でもやらなきゃいけないんだったら、楽しめるようになるまで“工夫をする”のが基本。時間を守ること。信頼関係を損ねるようなことや、自分がされて不快なことは人にはしない。一緒にいるみんながハッピーだと更に自分のハッピーも倍増するので、参加してくれるメンバーみんなが、そうであるような環境、関係作りは大切にしています。

◆アメリカでのビジネスについて思うコト

 感性や感覚を信じて「やってしまうこと」でブレイクスルーできる場合も多い。日本人の丁寧さ、ディテールへの拘りなどを大切にしつつ、同時にビジネスのビジョンやコンセプト、実現したい夢などしっかり持ちつつ『』周りを巻き込む勢い』や『スピードを失わないことも大切だと思います。自分の目線を引いたり近づけたり、両方できるといいなと思っています。

◆生きていく上で最も大切なこと (既定路線からの逸脱がカギ)

 大学入学してすぐ脱線してしまいました。受験勉強をして、猛烈に偏差値をあげるトレーニングには成功したけど、動物的な勘というか、野生動物としての力みたいなものがなくなったような居心地の悪さを自分に感じていました。なので、まずは授業に出ず、自分の身体に向き合ってパフォーマーとしての舞台活動してみようかなと。思考することに縛られ不自由になっている自分を解放してあげたかった、そんな感じでしたので、大学卒業後も就職戦線に加わることもせず、気づいたら舞台とともに20数年という時間が経っていました。そのおかげで、動物的な直感が磨かれた気がします。不自然な流れと心地よい自然な流れを見分ける感覚、今とても大事な気がします。

◆子供のころのまりこさんは?

 子どもの頃は赤面症で、人前で話すのが大の苦手。楽しそうな友人たちの様子を背中でじっと聞いているような子どもでした。父親はとっても教育熱心で、かつアーティスト肌。厳しかったですねえ。何かにつけてオリジナリティーを重んじる人で、子どもの意見や希望なんてまるで無視。小学校4年生まで、私にはボーイッシュなショートヘアが似合うと、毎月、床屋に連れて行かれ刈り上げでした。夏休みの習字の宿題「白い雲」には「摩利子、白い半紙に墨で書くのは普通すぎる。黒い画用紙に白い絵具で書こう。」万事、こんな具合だったので、恥ずかしがり屋で目立ちたくない私にはとんでもなく過酷な日々でした。でも今、思い返してみると、彼なりの愛情をいっぱい注いでくれた、笑える話満載の幼少期でした。

◆今後の展望、味噌がどう世界に広がるか

 叡伝そのものが工場を作って大きくなることはありませんが、味噌を作る人、味噌を作る小さな工房がいろいろな地域に生まれていくと良いですね。それぞれの場所にあう「発酵」が営まれ、地域の人と密接につながっていく。コロナ後の世界は、ますます免疫力を高めることが必要になってくると思います。発酵食品はますます大事になってくるのではないでしょうか。2022年3月、叡伝 Koji Cafeを613 York STにオープン予定ですが、ここが発酵発信基地となりコミュニティーのお役に立てれば嬉しいです。

3月の official open を目指し、静かなアウターミッションの一角に『Aedan Koji Kitchen』準備中。(@613 York St.SF) 小さなストアフロントでは、味噌、甘酒等、麹食品とともに発酵食品で彩られたお弁当、味噌汁を販売。奥にはクラスルームもあり、味噌作り教室、麹を使ったクッキングクラス開催を予定している。