ジャズピアニスト 馬渕侑子さん INTERVIEW JAZZ PIANIST YUKO MABUCHI

馬渕侑子

LAを拠点に活躍するジャズピアニスト。4才からクラシックピアノを始め、高校時代にJazzに魅せられる。京都の音楽学校を卒業後、ソリストとして、またジャズトリオのメンバーとして演奏活動を開始。 2010年に渡米し、LAのミュージックパフォーマンス アカデミー (MPA)で学ぶ。現在ソロおよびトリオで、全米で活躍中。 yukomabuchi.com

現在LAご在住とのことですが、どのような活動をなさっていますか。

ジャズピアニストとしてコンサートや、クラブ、ホテル、レストラン、教会での演奏や、トリオのレコーディングなどが中心ですが、ボーカルのサポートのレコーディングなどもあります。さらに、ボランティアとして弦楽器のアフタースクールプログラムで伴奏者をしているので、パーティで頼まれて、クラシックやラテンやポップなどを子供たちと一緒に演奏したりもします。

LAを拠点に、トリオで他州にもツアーに行きます。SF Jazzでの演奏は今回初めてですが、2020年2月22日に、サンノゼジャズウィンターフェスタにトリオで出演致します。

4歳からピアノを始めたとのことですが。

父が音楽好きで、またダンスを少ししていたこともあり、Earth, Wind & FireやChaka Khanなどダンスミュージックの沢山のレコードコレクションを持っていました。幼い頃からリズムのあるそれらの音楽が大好きで、聴けば体が自然に動いてしまっていました。ジャケットを見ても興奮していたのを覚えています。

母がクラシックピアノの講師なので、ピアノはクラシックから入りましたが、若い頃からアメリカのジャズ、ブルース、ヒップホップ、ソウル、R&B、ラテンなどの音楽が好きで、自分で遊びながら弾いていました。ジャズのインプロバイズと言いますか、アドリブでの演奏に非常に魅力を感じ、その後、本格的にジャズに移行しました。

幼い頃から人前で演奏したり歌ったりするのがとても好きだったので、私はこの先も人のために音楽をやっていくのだろう、何らかのジャンルでピアノを弾き続けるだろうと、どこかで思っていました。

渡米のきっかけは。

Jazzを生涯の仕事にできるよう、Jazzの本場できちんと学ぼうと思ったことです。私は福井県の自然の中で育ちましたが、音楽を一生続けていくことを考えると、東京や大阪で演奏することはあったものの、拠点はやはり本場であるアメリカにしたかった。実はLAに来る事を決める前、ボストンのバークリー音楽大学の入学オーディションで奨学金を得たのですが、ボストンは生活費も学費も高く悩んでいたところ、京都の音楽学校の先生の勧めでLAのミュージックパフォーマンスアカデミーで学ぶことを決め、2010年に渡米しました。

アメリカでの学校生活は日本とくらべていかがでしたか。

京都のジャズの音楽学校とアメリカのそれとの違いとしては、理論や技術など学ぶことはもちろん大枠では一緒なのですが、やはりアメリカの学校の先生は、LAの偉大なジャズミュージシャンであるということです。よく好意的に、先生が生徒を現場 (先生自身のコンサートや他のミュージシャンとセッションをしているところなど)へ連れて行く。そしてその場でプロミュージシャンとの共演ができました。そんな刺激的な経験は、やはりなかなか日本ではできないと思います。

また、積極的に外に出て仕事を取る、というような、ミュージシャンとして生活をしていく方法も学びました。更に、日本にいては日本人としか関り合いが持てませんが、アメリカでは世界中の人々と関ることができ、世界中の音楽が聴けるという、異文化体験ができました。アメリカに来ること自体が大きな経験だったと言えます。

渡米して演奏に変化は。

アメリカでは、テクニックを学ぶ事も大切だが、演奏で間違えても大丈夫、Jazzで完璧である事は重要ではない、それよりも感情を音楽に取り入れることがいかに重要か、お客さんとどれだけ繋がるのかがいかに大切か、ということを教わりました。そのことについて日々考えさせられ、励ましてくれ、練習と実践を日々繰り返させてくれたのです。そのお陰で、自然とコンサートで自分の音楽を表現できるようになったと思います。

実際、オーディエンスからもらえる刺激はとても大きいものです。日本でのコンサートも素晴らしいですが、やはりアメリカのオーディエンスの直に来る反応はすごい。素直にストレートに声で反応してくれます。そしてそれが本当に嬉しいのです。毎回、全く知らないお客さんたちのために演奏しているわけですが、オーディエンスからの反応がしっかりあると、その数秒後の演奏も変わります。自分でも全く想像していなかったアイデアがその場で出てきたりして。その刺激がコンサートをする喜びだとも言えます。コンサートをする度に、沢山の事を学ばせていただいている気がします。

日本の場合は、とても静かに、また他のお客様に気を遣って行儀良く聴いてくださいます。もちろんそれもとても嬉しいことですが、その違いはとても感じますね。

トリオの仲間とはどうやって知り合ったのですか。

ベースのデルとは、2013年にとあるプライベートパーティで彼が演奏するのを見たのが始まりです。ドラムのボブは、子供向けのアフタースクールとしてコミュニティセンターで演奏していたのを、私のプロデューサーが見て、彼はどうか、と私に勧めてくれたのが始まりです。そのプロデューサーは、トリオでやってみてはと以前から私に勧めていてくれたのです。彼らに、一緒にやらないかと自分で電話したらOKしてくれて、そこからリハーサルを始め、次第にオファーが来るようになりました。基本的に、選曲やアレンジなどは全て私がやっています。

憧れの音楽家などは。

クラシックで勉強していたときは、近現代のものがとても好きで、カバレフスキーとかバルトークなどの曲でコクールに出たりしていました。ジャズに関しては、一番最初にピアノの演奏をラジオで聞いたのがオスカー・ピーターソンでとても感動しました。また、ハービー・ハンコック、モンティ・アレキサンダーなどにも影響を受けました。R&B、ヒップホップの分野で言いますと、尊敬しているのがエリカ・バドゥです。

衣装がとても素敵ですが、ご自分で?

着物以外は基本的に自分で準備しますが、着物は大川敏子さんという、LAの着物スタイリストさんにお願いして、プライベートなコンサートで時々着ます。普段のドレスなどでは味わえない、しゃんとした清々しい気持ちになります。演奏しやすいように、普通の着物を後ろ前で着るなどのアレンジをしてもらえて、とても個性的な衣装になります。

今後の夢は

私のトリオでアジアツアーを組んで、日本を始めアジアの国々で演奏するのが、今の私の一番の夢です。

Jweeklyの読者に一言

Jweekly の広告を見てコンサートに来てくださった方には、ありがとうございますとお伝えしたいです。ベイエリアは日本人が多いと思いますが、これからも日系の方のイベント等を通してみなさんにまたお会いできれば。それももう一つの夢です。

Yuko Mabuchi Trio SF Jazzジャズコンサートレポート

11月22日(金)に日本人ジャズピアニストYuko Mabuchiのコンサートがここサンフランシスコ市内のSF Jazzで開催された。当日の演奏ではモダン・ジャズの巨匠として有名な「マイルス・デイビス」のアレンジパフォーマンスだけではなく、彼女自身のアルバムからの曲も演奏され、ジャズ演奏とピアノパフォーマンスで会場内の観客を魅了した。特にI got rhythmではYuko Mabuchiの声と表情、そしてピアノと踊っているかのようなピアノパフォーマンスに会場全体が圧倒された。SF Jazzはフランクリン通りからも中の演奏が見えるようにガラス張りの会場となっているが、通りかかった親子がYuko Mabuchi Trioの演奏をみて踊りだすほどのピアノパフォーマンスだった。会場内の音は聞こえなくても、目でもジャズは楽しめてしまうようだ。演奏前に「SF Jazzで演奏する事が夢の一つでした。今日、私の夢が叶いました。」とYuko Mabuchiは語っていたが、今回の演奏を聴いた観客たちにとっては、またYuko Mabuchi Trioの音色を聴き、彼女のピアノパフォーマンスを見れることが夢になったのではないだろうか。