岸谷 香さん / ミュージシャン “知らなかったものを知るなんて、なんてハッピー”

今月18日(土)、サンフランシスコにあるThe Westin St. Francis Hotelにて、JCCNC(北加日本商工会議所)が新年会を主催。第65回となった今回のゲスト、ミュージシャンとして不動の人気を誇る岸谷香さんにお話を伺いました。

サンフランシスコのご感想は

実は初めてなのです。アメリカにはよく来るのですが、たまたまサンフランシスコにはご縁がなくて。到着した日から全力で遊んで全力で観光しています。音楽の街という印象で、とても楽しいです。

1996年のプリンセスプリンセス解散から、ご結婚、ご出産を経て、2014年から活動を本格的に再スタートとのことですが

2012年に震災復興支援のためにプリンセスプリンセスを再結成をしたのがそもそもの音楽活動の再スタートですが、それまでは完全に専業お母さんでした。その間は、夫が20年以上行っているエイズのチャリティコンサートで年に一度歌うことだけが私の仕事。子供を置いて仕事に出るなんて絶対できないと思っていました。

しかし震災が起こり、日本のために何か私にできないかと考えた時、4年生と2年生だった子供たちにしっかり説明し、話し合いました。私たちは元の生活に戻れたけど、いまだに戻れていない人たちがたくさんいる、二度と会えなくなった親子もいる。東京ではありましたが、子供たちも被災しかなり恐ろしい思いをしたので、何かできることがある人はやるべきだ、という私の思いを理解してくれました。そこで、お母さんは昔こういうバンドをやっていてね、から説明を始めて(笑)。そうしたら、分かった、自分のことはちゃんとやります、と。まあ、口だけでしたけどね(笑)。

お仕事を再開されて実際いかがでしたか

やってみると、ああ、やればできるものだな、と。家族の助けもありましたが、何よりもママ友たちの援助のおかげ。お弁当作り、習い事の送迎、泊まりがけで預かってくれたり、何から何まで甘えまくりでした。ママ友たちも、私をフォローすることによって自分も間接的に復興支援活動に関われて嬉しいと言ってくれて。

お子さんたちも喜んでいるのでは?

最初は誇らしい気持ちよりも、びっくりという感じでした。息子は、お母さん、あんまりテレビでミニスカートとかやめてくれない?って恥ずかしがって。娘は駅に私のポスター貼られちゃってびっくり。娘のお友達も、○○ちゃんのママのポスターが、駅に!駅に!って(笑)

あれから10年近く。娘は16歳、息子は18歳になり、二人ともアメリカに留学しています。息子が突然アメリカに行きたいと言い出したのだけど、もし英語ができていたらどれだけ世界が広がっただろうと思っていたので、二つ返事でOKしました。

私も一年半前から英語の勉強をしているんです。前から英語に憧れだけはあって、何度かトライしていたのですが、この機会を逃したら無理だと思って。今の目標はレコーディングの時になんとか自分の言葉で伝えることです。

今までで最も思い入れのある曲を挙げるとしたら

優劣はつけがたいのですが、やっぱり「Diamonds」と「M」です。この曲たちがあったから復興支援の活動ができた。あの時日本で13万人の人がチケット買ってくれて、それが義援金になったのですが、その二曲しか知らない人、お母さんがカラオケで歌っていて知っているだけという人も沢山いたのです。しかも「M」はA面の曲じゃなかったのに。

ビュー当時と今と楽曲作りに変化は

10代って怖いものとかないし、自分への可能性だって無限に夢が見られた、でも必ずそれは過ぎ去っていってしまうもの。実際その時に作っていた曲って、どれだけ頑張っても30代、40代には作れないものばかりで、聴くと今でも無敵の、そして無知のエネルギーを感じます。もちろんどの年代でもその時々にしか出せないエネルギーはありますが、やはり10代は特別だと思います。

プリプリでの楽曲作りとUnlock The Girlsでの楽曲作りの環境の違いは

全く違います。プリプリは29歳で解散したので、私の青春の第一章。40代で再スタートを切った後、50代になったら何か新しいことを始めようと思った。なぜなら、時間をかけて到達するようなものを始めるのは、体力的にも記憶力的にも50代が最後だと思ったからです。それ以降になるといくら強い気持ちがあっても、気合いと根性だけでは難しい。

そう思った時、もう一度女の子とバンドをやりたいな、と思ったんです。しかも全く関係のない世代の子と。そしたら運命の巡り合わせのようにパッと出てきた3人が、ちょうど「Diamonds」が出た年に生まれた子たちで、私の現役を知らない、それでももう30だから、キャリアもあり、尊敬できる楽器の才能もある本当にベストなメンバーだったんです。

アメリカの学校ってシーズンごとに違うスポーツをしますよね。例えてみれば、プリプリ時代は3年間ずっと同じスポーツに捧げる日本の学校の部活、そして今はアメリカの部活。岸谷香として、Unlock The Girlsのほか、ソロのステージあり、弾き語りあり、他の楽器とのコラボあり、おじさん(笑)たちとやるユニットもあり。

私多分、欲深いんですね。 Unlock The Girlsは私のバンド欲を満たしてくれ、チェリストとのコラボは私のクラシック楽器コラボ欲を満たしてくれる。でも、一番私の中で強いのはお母さん欲なんですけどね。

その魅力的な声や体力を保つ秘訣は

声は消耗品。私は10年休んだので10年分得をしているんです。休むことで何歩も下がったとも思うけど、良かったことのひとつは声を取っておけたということ。

体力は限界ですよ(笑)。若い子たちが2軒目行こうとなった時に、私帰る、って(笑)。

子育てがひと段落ついて、ちょっと一息?

全然。家でのんびりもできるけど、もったいないしやりたいことも多い。楽しいこと、やりたいことは昔から我慢しません。友達には、あなたみたいに好きなことだけやってたら幸せよねって言われるけど(嫌なことだってやってるわよ・笑)。

子供たちがせっかくアメリカに行ったなら私もと思って、なんとか調整して年に3、4回行っています。また行くの?って言われるけど、時間って限りがありますからね。

今回のサンフランシスコも毎日全力で遊んで。知らなかったものを知るのはなんてハッピーなんだろうと。

今年の活動について

今回のライブ、2月は感謝祭というイベントをして、新譜も作る予定。5月6月はバンドツアー、9月10月11月はソロでの弾き語りツアー。それぞれ全く違うから、あれもやんなきゃこれもやんなきゃで、ああもう終わっちゃった、くらいの感じになると思います。

Jweekly読者に一言

いつかアメリカに住んでみたいと思いながら50歳を過ぎました。皆さんは、皆さんにしか分からない苦労もあると思いますが、いろんな文化がある場所にいて生活豊かだと思います。でももし日本が恋しくなったら、ネットや、今回のようにこちらでコンサートさせていただく機会などに私の歌を聴いていただいて、みなさんにほっこりしていただけたらなと思います!

岸谷 香(きしたに かおり)
http://kaorikishitani.com/
1996年に解散した伝説的ガールズバンド「プリンセス プリンセス」のボーカル。2001年奥居香より岸谷香に改名し、2014年ソロの活動を本格的に再スタート。以来、アルバム8枚シングル8曲をリリースする傍ら、各地でのライブ、全国バンドツアー、東日本大震災復興支援ライブなどを行い、2017年にはガールズバンド「Unlock the girls」を立ち上げるなど、精力的な活動を続けている。今年5月からは全国9箇所をまわるKaori Kishitani 2020 Live Tour 53 rd SHOUT!-Unlock the girls 3- の開催が決定している。