現実の厳しさを目にした 時に現れる人間の強さ、 優しさを信じて。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
クラレンドン小学校 JBBP 学級担任
田中 淳子

◆田中淳子 プロフィール
滋賀県出身。滋賀大学で小学校及び中学校・高等学校教育免許(数学)取得。滋賀の公立小学校で4年の教員経験後、渡米。University of San Francisco で第二言語としての英語教育法修士号取得。2000 年にクラレンドン小学校JBBP で日本語インストラクターとして教えはじめ、2001 年から学級担任となる。現在4 年生担任で3人の子育てをしながら、University of San Francisco 教育博士コースで、人権教育の研究を進めている。

 今年2月にエルギン• ハインツ優秀教育者賞の授賞式がオンラインで行われた。この賞は、
地域、リーダーシップ、教育、未来、日米関係、平和などに顕著な貢献をした教育者に授与されるもので、今回の受賞者は全米より 2 名が選ばれた。そのうちの一人、日本語、日本文化教育を通して、地域社会での多様性、社会正義の教育での貢献が認められた、カリフォルニア州サンフランシスコ市立クラレンドン小学校の田中淳子教諭に J weekly がお話を伺った。

―エルギン• ハインツ優秀教育者賞受賞おめでとうございます!
まず、クラレンドン小学校はどんな学校ですか?

 同校は公立学校ですが、通常の英語での主要科目に加えて、日本語、日本文化を教えるというユニークなJBBP(Japanese Bilingual Bicultural Program)プログラムがあります。学級担任が日本語も教えるため、日常の中で日本語を使ったり、他の教科で日本文化や歴史を取り入れたりできます。

―田中先生はクラレンドン小学校でどんなことを教えていらっしゃいますか?

 私は4年生担任として、多様な背景を持つ児童の文化、知識や経験を尊重し、共有して学習できるように、ディスカッションや発表活動を多く取り入れています。日本語の時間には楽しく意義ある学習を目標に、ゲームや歌、寸劇を使って子どもたちの個性が生かせる指導を心がけます。中でも、食事を注文できるように練習してから、実際に日本食レストランへ行く遠足は、児童の学習意欲を高めます。その過程で、英語と日本語を母国語にする子どもたち同士で助け合うシステムを作り、全員が成功体験を持てるように学習面と社会情動面のサポートも図ります。

―毎年、カリフォルニアの日系の歴史であるフレッド・コレマツ氏の劇をクラレンドン小学校で日本語や日本文化に馴染みのない生徒たちに教えて発表されていらっしゃいますが、何がきっかけでしたか?

 慣れない日本語読み書きの学習で意欲を無くした子ども達を見て、JBBP を設立した日系人の思いを伝えようと、戦時中の強制収容の歴史について調べている時、フレッド・コレマツデーを知りました。子ども達は、コレマツ氏の勇気に感動し、強制収容した政府に憤り、また多くの大人がこの歴史を知らない事に驚き、コレマツ氏の劇をして教えようと私に言い出したのがきっかけです。

フレッドコレマツ人権集会より:右からゲストスピーカーのデール・ミナミ氏とネル・ノグチ氏(2019 年)

―スキットの作成や演劇の練習、コスチュームなどどうやって一人でこなされたのですか?

 最初は、私の知識が不十分で劇は無理だと思ったのですが、子ども達のやる気を見ると断れず、JACL(Japanese American League)の故グレッグ・マルタニ氏やコレマツ氏の長女のカレン・コレマツ氏の力をかりて、半年かけて台本を書きました。コスチュームや小道具は、私が休み時間に作るのを見て、子どもたちが手伝ってくれました。

Fred Korematsu 劇を披露する生徒たち

―劇を発表するまでに様々な準備が大変だと思いますが、これまでの取り組みや、劇を発表して良かったと思ったことを教えてください。

 劇を楽しみにしている子もいれば、不安に思う子や、やりたい役ができない子もいます。そのため、この劇をするべきかやめるべきか、クラス全員が納得するまで真剣に話し合い、台本も必要に応じて変えます。準備期間は大変ですが、保護者が助けてくださったり、本番後の子ども達の誇らしげな顔を見たりすると、来年も頑張ろうと思います。

1996 年、教員になって2年目に国際理解教育に興味を持ち、
「世界と仲良しクラブ」を創設。(上段左が田中先生)

―とてもアクティブな田中先生ですが、小さい頃はどんなお子さんでしたか?

 山や川での探検が大好きな子どもで、行ったことのない場所に辿り着いた時はワクワクしました。父は厳しい人で家の中は窮屈でしたが、同和地区の人権問題や、芸術の美しさについて教えてくれ、今の私の教育観の基盤になったと思います。

―アメリカに来たきっかけはなんですか?

 滋賀の小学校で教えていた頃、子ども達に広い世界を見せてあげたいと思い、アメリカで英語教授法修士号取得を決めました。渡米後英語ができず辛い思いをし、子どもたちが恋しくなってボランティアを始めたのがクラレンドン小学校との出会いです。日本語インストラクターを経て学級担任になりました。

1998 年 滋賀で教員をしていた時の算数の授業

― これからの夢、やりたいこと、目標を教えてください。

 反人種差別教育の推進と、子ども達のアクティビズムの育成です。

エルギン• ハインツ優秀教育者賞の授賞式の田中先生

― 最後にJ weekly 読者へのメッセージをお願いします。

 夢を追求するとき、現実の厳しさや理不尽さに諦めたくなる時もありますが、その時に現れる人間の強さ、優しさを見つけて、自分を奮い立たせて欲しいと思います。