そうか、何もないのが私か、と。


映画監督/塚田 万理奈さん
2017年公開の映画「空 (カラ) の味」で数々の賞を受賞、現在、今後10年かけて継続して撮影を続ける長編映画を制作中の期待の新鋭監督、塚田万理奈さんにお話を伺いました。

映画「空 (カラ) の味」より

どんな子供時代でしたか

 個性の強い二人の姉たちと、優等生で穏やかで愛される兄という中での末っ子で、自信を持てず、存在感も薄く、絵や漫画を書いて過ごしていました。無理して会話に入っても緊張で疲れ切ってしまうので、よく机の下に隠れてみんなが話しているのを見て聞いていました。
 初めて映画館に連れて行かれた時「机の下と同じだ!」と感動しました。明るい映像の中の人々は私を見ておらず、私はそこに加わる必要もなく、薄暗い中から一方的に見ていられる。映画というよりまず映画館が大好きになりました。

映画を作ってみたいと思ったきっかけは

 高校生になっても、学校が大嫌いだったこともあり、学校帰りは映画館で心を癒やす毎日。進路を考えた時、好きと言えるのは映画くらい、できれば映画の話ができる友達がほしい、という生ぬるい理由で映画を学べる大学に行きました。ところが入ってみると熱意を持って映画作りを勉強している人ばかり。友達が欲しいなんていう理由で来た私はまあナメられましたね(笑)。自信は更になくなり、将来はもっと分からなくなり、気づいたら摂食障害になっていました。
 せめて丸い顔や足に対するコンプレックスを克服したかったのですが、次第に止められなくなっていきました。食事、睡眠という、人間として生きていく上での基本すらも普通にできないなんてと絶望し、かといって死ぬことも出来ない。
 大学も行けなくなっていたので、大好きな先生に退学の意思を伝えに行くと「何もないのが、じゃあお前だろ」と言われたのです。そうか、何もないのが私か、と思い、私には何もない、ということを遺書のようなつもりで脚本にしました。それを読んだ先生が「これを撮って終われ」と。
 生きていく自信もなく死のうという決断もできなかった時、よし、映画を作ることで決断まで猶予を貰おう、と。それが映画作りのきっかけでした。

摂食障害の少女を描いた映画「空 (カラ) の味」は実体験を元にされているとのこと

 それ以前の作品には摂食障害を描けずにいました。まだ向き合うことができていなかったのです。でも障害と生きる中で、同じように心を崩している人に出逢いました。その人は本当にキュートで、私はその人が大好きで、肯定したかった。でも私も生きるのがダメだったから、励ませなかった。その後悔がずっとあって、それを言わないと死ねないと思い書いたのが「空 (カラ) の味」です。
 私の摂食障害の期間を描いた作品ではありますが、「私もあなたも、病気だとか壊れてる人などである前に『私とあなた』なんだ、ここに感情があるんだ」と、そのたった一人に言いたくて書いたのです。

その映画が高い評価を受けましたが、影響は

 実は撮影が終わっても公表するのに躊躇しました。周りの人は私の摂食障害をほとんど知らなかったからです。撮影中ですら撮りたくない、バラしたくないと泣く私の話を、しっかり聞いてくれ、去らないでいてくれたスタッフや役者さんたちのお陰で、えいやっという気持ちで映画祭に出品することができたのです。
 上映していただけることになったものの上映中も怖くて泣いていた私の手を、主演の堀さんが握っていてくれました。すると上映後、気づくとお客さんたちも泣いている。私を抱きしめてくれる人、「私も一人だと思ってた、言えなかった」と伝えに来る同じ障害を抱える人もいて。摂食障害に対する私の呪いが少し解けた気がしました。
 様々な賞をいただき、全国劇場公開となり、ようやく家族や友人が観てくれました。心臓が張り裂けそうでしたが、父から「よく頑張った、素晴らしかった」と言われ、「ひかないの?怒らないの?」と聞くと、「お前がベストを尽くして作品を産めたのなら、そんなことはどうでもいい」と。意外に家族は私が思うよりずっと強かったんです。

現在制作中の「刻」という映画はどのようなものですか

 「空 (カラ) の味」の公開中、劇場で中学時代の友人に声を掛けられました。いろいろあってそれまでずっと彼の記憶は封印していたのですが、後日彼と飲みに行き、今までの 10 年間の話をしたのです。するとその後も、この 10 年間のことが思い出され、彼も他の友だちも、私も家族も、みんなよく生きたな、美しかったな、という思いが溢れてきました。
 無知な子供だったから友達になれたのかもしれない、とも思える中学時代の友人たち。今はそれぞれの人生に直面していたり、疎遠になってしまったりしていますが、確かにあの時私たちは一緒に成長して、一緒に生きていました。それは今も私にとって愛おしい、美しい時間です。そう思えるのは私自身が生きていたからでもあり、その事実は私が生きることをも励ましてくれる ーー そのことだけは言っておかないと、と思って書いた遺書のような作品が「刻」です。主人公の中学生が大人になるまでの約 10 年、ほとんどすべて私と周囲に本当にあった出来事です。

映画「刻」(とき)のパイロットフィルム「満月」(みつき)撮影風景

この作品にかける思いとは

 この映画は撮影に実際 10 年をかける予定です。この映画を作りきって死にたい。恋愛も仕事もうまく出来ないので、生きていたくない。だからこれから 10 年間はこの映画と共に生き、周囲の人と、自分自身と、生きることにすべてを賭けてみたいと思っています。この作品は遺書であると同時に、将来と過去の自分の、いまの自分への賭けでもあるのです。
 そしてもし 10 年後、撮り終わった時に「この先もまだ生きていたい」と思えたら。そうしたら、苦手な恋愛をしたり、家族を持ったり、仕事をちゃんとしてみたい。何より子どもが欲しい。未来あるものと未来の可能性を生きたい。そして、生きていい、と自分に言える自分になりたい。

「刻」パイロットフィルム「満月」より

撮影に関するこだわりは

 とことん「本物」にこだわりたいと思っています。中学生だった私にとって世界のすべてだったような田舎町で、実際に中学生の子供達が時間とともに成長するのに付き合いながら撮影します。 子供達は地元で開いた映像のワークショップで出会った、脚本の未来を知らない素人です。
 更にデジタルではなく16 ミリフィルムで撮影します。フィルムは時がたっても「なまもの」を「なまもの」の形で保管してくれるからです。時間もお金も手間もかかりますが、それが私のやりたいことなのです。お金や賞が欲しいわけでもなければ、何かを変えたいわけでも無い、私が生きるために撮るからです。

「刻」パイロットフィルム「満月」より

Jweekly読者に一言

 サンフランシスコには、英語も話せないのに「アメリカ行ってくる!」と飛んでいった姉と姪が住んでいて、一度会いに行ったことがあります。雑多な人種、海と広い道と豊富な自然、カラッとした空気、堂々と気が強い車椅子に乗ったバスの乗客。息がつまる感覚がない、という印象です。健康志向だった姉が送ってくる、巨大なドーナッツや派手なお菓子を食べている写真を見ては、自由だなあと笑っています。


塚田 万理奈(つかだ まりな)
長野県出身。初長編映画「空(カラ)の味」で第10 回田辺・弁慶映画祭の弁慶グランプリ・女優賞・市民賞・映検審査員賞と、史上初の4 冠に輝き、テアトル新宿ほかで全国公開を果たす(米国Amazon にて視聴可能)。
現在長編2 作目となる「刻」を制作中。制作費用の一部をクラウドファンディングにて募集中。

映画『刻』実行委員会
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