グリーグってどんな人?

 こんにちは。サンノゼピアノ教室、講師の井出亜里です。
 6月生まれの音楽家に、「ペールギュント」組曲で有名なエドヴァルド・グリーグがいます。名前を聞いても顔が思い出せない、そんな人も多いでしょう。
 グリーグの肖像画を見せると「これ、アインシュタイン?」と聞く子が時折います。髪型、口ひげ、確かにちょっと似ていますね。奇しくも双方、従妹と結婚したという共通点も。グリーグはどんな人だったのでしょうか。

体は小さく、気も弱い
 エドヴァルド・グリーグは1843年6月15日にノルウェイで生まれました。
 幼少時は母にピアノを習ったグリーグ。小柄で気弱なこどもでした。15歳でドイツのライプツィヒ音楽院に入学するも、ホームシックで泣いていたそうです。ライプツィヒ音楽院は瀧廉太郎も学んだ名門校。グリーグはここで3年半でピアノと作曲を学び、その後デンマークで研鑽を積みます。
 ノルウェイの民族音楽に影響を受け、祖国の民族楽器を取り入れた作品は次第に北欧に広がっていきました。一方、当時の音楽界における一大勢力はドイツ・ロマン派。グリーグは「田舎の無名作曲家」と見られていたことも事実です。

大御所訪ねて激励受ける
 転機が訪れたのは26歳。ローマに滞在していたフランツ・リストからの招待です。自作のヴァイオリン・ソナタを差し出すグリーグ。リストは所見でピアノ譜とヴァイオリン譜の二人分を一人で完璧に弾いたと言われています。またある時は、グリーグの最高傑作と謳われるピアノ協奏曲を持って行くと、リストは、これまた一人で全てのパートを所見で弾きながら、これは素晴らしい、ここも面白いと感想を述べる余裕すら見せたとのこと。驚嘆するグリーグにリストは言いました。「これが北欧だ!」「このまま進みなさい。何にも臆することはありません」。
 リストの激励はグリーグの自信になりました。もう気弱な田舎作曲家ではありません。“ピアノの魔術師”と呼ばれた大御所からのお墨付き。更に、リストが絶賛したことで郷土色豊かなグリーグの作品に注目と賞賛が集まり、国民楽派としての地位を確立しました。

北欧のショパンのお気に入り
 名ピアニストだったこと、ピアノ曲を沢山残したこと、繊細で、民族的要素をもった作品のせいでしょうか、グリーグは“北欧のショパン”と呼ばれます。
 そんなグリーグのお気に入りは人形やぬいぐるみ。あがり症だった彼は蛙のマスコットをポケットに忍ばせて演奏会前になると握り締め、心を落ち着かせていました。子豚がクローバーを加えたぬいぐるみは就寝のお供。後にでてくるトロルの人形と共に、ベッドサイドに置いて毎晩「おやすみ」と声をかけていたそうです。

トロル夫妻の可愛いお家
 グリーグもその妻ニーナも身長は150cm前後。北欧の人々は高身長が多いため、自らを「トロル(こびと、妖精)の夫婦」と呼んでいました。


 チャイコフスキーは、ニーナの容貌を「グリーグによく似た、小柄で、少し弱々しく優しそうな婦人。完成されたソプラノ歌手。これほど教養高い婦人は見たことがない」と述べています。よく似た容姿の音楽家夫妻でした。従兄妹ですものね。
 この似たものトロルたちの住処がトロルド・ハウゲン、“トロルの棲む丘”と名付けられた終の棲家です。祖国の自然を愛し、その音楽を世界に知らしめた彼のお墓はなんと崖に埋め込み式。64歳で亡くなる前に、海に面した岩壁にお墓を作るよう遺言で頼んだグリーグ。ニーナ夫人、1歳で夭逝した娘と共に眠っています。
 その死から25年後、彼の親戚に男の子が生まれます。「バッハの再来」と呼ばれることになるピアニスト、グレン・グールド。これはまた、別の機会にお話ししましょう。