父親が迷惑親父の作曲家

 こんにちは。サンノゼピアノ教室、講師の井出亜里です。
 子供を大音楽家にしたいあまり教育に力を入れすぎ、害にもなる親がいます。古くはベートーヴェンの父ヨハン。記憶に新しいのはマイケル・ジャクソンの父ジョゼフ。今月は、彼らに劣らぬ迷惑親父に翻弄された作曲家、カール・ウェーバーをご紹介します。

 “魔弾の射手”や“舞踏への勧誘”で有名なウェーバー。1786年11月18日、ドイツでウェーバー家の三男として生まれます。病弱で、小児麻痺を患い片足が不自由でした。フルネームはカール・マリア・フリードリヒ・エルンスト・フォン・ウェーバー。“フォン”は貴族を表す称号ですが、ウェーバーの家系は貴族ではありません。父フランツは1600年代に先祖が男爵に叙せられたと言うのですが、どうも怪しい。フランツの兄はフリドリン・ウェーバーですし、父も同名のフリドリン・ウェーバー。“フォン”はどこにもありません。フランツのでっちあげだろうと研究者は見ています。男爵は男爵でもホラ吹き男爵の父を持つとどうなるか。見ていきましょう。

 ウェーバーの父フランツの夢はベートヴェンの父と同じものでした。それは「第二のモーツァルトを生み出し一攫千金」。自身も音楽家だった父親です。名声と富は勿論、もう一つ、強力な動機がありました。姪の結婚相手がモーツァルトその人だったのです。つまり、兄の娘がアマデウス・モーツァルトの結婚相手。あの悪妻として名を馳せたコンスタンツェです。兄には負けられぬ。モーツァルトに続けとばかりに長男次男をハイドンに弟子入りさせますが、双方神童には程遠い。そこへ生まれた三男カール。是が非でも大音楽家にしなければならぬと一層の音楽教育を施しました。学校へは行かせず、著名な音楽家に次々と弟子入りさせたのです。それが実ってカールは貴族の家に招かれる演奏家になりました。

美しいバリトンヴォイスは戻らない
 17歳のカールは社交界でも大人気。ピアノもギターも達者な上、美しいバリトンの歌声で上流社会に馴染んでいきます。一方、オペラを作って発表していたものの、こちらは鳴かず飛ばず。しかし貴族の後ろ盾も強力になり、劇場の楽長に任命されました。    
 悲劇が起こったのは20歳の時。訪ねた友人が瀕死のカールを見つけたのです。銅板印刷の研究をしていた父が、残った硝酸(医薬用劇物)をワインの空き瓶に入れ、棚に置きっぱなしにしていたのでした。知らずにラッパ飲みしたカールは喉から胃までを焼かれ、虫の息。病院で命は取り留めたものの、美しいバリトンは失われてしまったのです。

父により投獄、追放、夜逃げ旅
 健康を著しく害し、楽長の座を追われたカール。次の仕事は公爵家の記録係でした。音楽を仕事にできない不満はあっても2年間、実直に勤務。公金も任されるようになり、それを家に置いていたある日、嗅ぎ付けたのが父親です。借金取りに追われ、金の無心に訪れた息子宅で大金を発見。これは良い好都合と、持ち逃げしました。結果、カールは投獄され、その後父子そろって国外追放。罪人として公国を追われてしまったのです。

死してなお迷惑かけるダメ親父
 1810年、遂に好機が訪れました。オペラ“シルヴァーナ”がフランクフルトで大成功。名声を得たカールは各地への演奏旅行で1812年までにかなりの財を得ました。懐も暖かくなり、ほっと一息ついたところへ父死亡の通知。しかしタダで死なないダメ親父。莫大な借金を遺しました。借金取り達は一番余裕がありそうな三男の作曲家に群がります。カールは借金返済でスッカラカン。おまけに演奏旅行中。
 あわや異土の乞食か、と思われたその時、救いの手が差し出されました。プラハに指揮者として招かれたのです。ここで3年間、指揮者、芸術監督、ピアニストとして必死に働きました。

父親を反面教師に財のこす
 30歳で結婚、二児をもうけると、創作意欲はますます高まります。1819年にピアノ曲“舞踏への勧誘”、翌年にオペラ“魔弾の射手”を作曲。1821年にオペラが初演されるや、空前絶後の大成功。この演奏を聴いて、ワーグナーやベルリオーズが作曲家を志したと言われています。しかし名声の代償は健康でした。この頃、体の異変を覚えたカールは結核に侵されたことを知ります。それでも1826年2月、単身イギリスへの演奏旅行を決意。オペラ「オベロン」の作曲依頼があったからですが、実は、病身を妻子から隔離し、彼らにまとまったお金を遺すためでもあったのです。
 4月12日の“オベロン”初演は成功し、病躯に鞭打って自らタクトを振り続けること11回。約2か月の契約は6月4日に完了しました。明日は帰国という6月5日の夜、精魂尽き果てたカールは、一人ロンドンで客死したのです。享年39歳。
 自分の父とは異なり、家族のために生きた彼の遺骨は18年後、ワーグナーの尽力により遺児マックスと共にドレスデンに戻り、今もそこで眠っています。