小野寺 盛浩さんーLA在住・ミシュランスターシェフ

<プロフィール>
◆Morihiro Onodera
1964年5月生まれ。岩手県一関市藤沢町出身。高校卒業後、東京の寿司屋に就職し、1985年に渡米。アメリカの生活はロスから始まりその後ニューヨークへ。1996年にロスに戻り2000年の5月にウエストLAにモリスシを開店。2007、08年にはミシュランガイドで星を獲得。2011年にモリスシを売却後、南米ウルグアイでお米の生産を開始、2013年からアメリカを始め各国にお米の販売を開始。2017年にお米の仕事を辞めて日本食のお店に復帰。現在自分のお店をロスに開店する為の準備中。趣味は器を作る事。
「ロスの新しいお店では、出来る限り私の手作りの器を使って皆さんに喜んでいただきたいと考えています。以前の私のお店ではサクラメントでお米を作って毎日精米をしていましたが、新しいお店では日本のお米を玄米で輸入し毎日精米をして美味しいご飯を炊きます。美味しいご飯と私の器のコラボレーションをゆっくり楽しんで頂ける様なお店を作りたいと考えています。皆さんどうぞ宜しくお願いいたします!」
http://www.morionodera.com/

世界的に権威のあるフランスのミシュランガイドで、日本人シェフとして星を獲得し、華々しい経歴を誇る小野寺さん。その後本格的に始めたお米作りにも、器作りにも、一切妥協を許さない。進化を続ける小野寺さんを、J weeklyがインタビューしました。

シェフだった小野寺さんが、お米作りを始めたきっかけを教えてください。

 シェフの私にとって、お寿司で大事なポイントは「お米が7割・ネタが3割」だと思っています。ネタの方が目立つものの、お米はお寿司にとって大事なものです。故郷の岩手県南部(現在一関市)の実家ではお米を作っていて「お米を残すと目がつぶれる」と言われて育ちました。日本の食文化の中で「お米」は全てを捨てずに全部使うことができる大事な食材です。藁で草履を作ったり、米ぬかで石鹸替りとして使ったり、一番感謝をしなければならない食材だと子供の頃からずっと思っています。アメリカの日本食レストランで働いていると、お米があまり大事に扱われておらず、食材として大事にされていないことに違和感がありました。私にとって「嘘をつかない」「100%自信をもってお客様に伝えられるものを強い意志をもって伝える」ということが大事であり、どういう場所で・誰が作っているかというストーリーを100%伝えたいと思いました。同業者にお米作りを一緒にやろうと声をかけても、11年間で実際に作る人は一人もいませんでした。私がやろうとしている事を実際やっている人がいないと分かり、ここに自分のユニークさ、誰にもできない部分があると気付きました。多くの人に「これが美味しいお米だ」と伝えていかねばならないと思い、お米作りを決断しました。2011年にお店を一旦辞め、その後シェフ業を再開するまでの数年間はお米作りと器作りに専念しました。その間、色々なところから声をかけていただき、UCLAのFood and Scienceでの講演や、NapaのMeadowoodというレストランで毎年クリスマス前のコラボレーションディナーのトリを務めています。自分の作っているお米の美味しさを伝える為、このディナーでは全て米から作られている「ぬか漬け」を紹介し、玄米寿司や握りを作りゴマ塩で食べてもらったりしました。

お米に対する情熱について

 NYにいた頃に田牧米と出逢い、その美味しさに感動しました。後日この美味しさを再現しようとするも、最初に感動したほどの美味しさを再現することが難しかったことをきっかけに、お米への飽くなき挑戦が始まりました。炊き方を工夫し、出来る限りの方法を試したが再現しきれず一度は断念も。その後LAに引っ越し、お米の研究を再開しましたが、各業者さんに聞いても美味しい炊き方が出来ない事が不思議でした。数年後、美味しいお米の炊きあがりは精米後一週間以内、美味しくないお米は精米後三ヵ月だったことが判明し、美味しくお米を炊く重要なポイントは精米のタイミングだと気付きました。ここに至るまでに七、八年が経っていましたが、そこから更にお米作りの情熱が増し、結果南米ウルグアイでお米を作ることとなり、ご縁がどんどん繋がっていきました。(※ウルグアイでの小野寺さんの情熱的な仕事ぶりはフランス人ドキュメンタリーグループにより撮影され、2021年頃に映画化される予定。)

フランス人撮影チームと共に、ウルグアイの農地にて撮影。

シェフが作るこだわりの器

 お客様に食べて頂くものはできるだけ自分の手をかけたい、と考えています。お店を開店する際、味はもちろんのこと、お店の雰囲気づくりや内装も含めたビジョンが重要です。また、以前経営していたお店では年二、三回ローカルアーティストの作品を展示し、季節に合ったお店の雰囲気を演出しており、これから開店するお店でもこれと同様の事をやっていく予定です。現在は、今年中に開店を目指す新店舗用の器作りに励んでいます。器を創るときに見えるイメージは料理そのもの。卵焼き、ヒジキ、など料理をイメージしながら土作りから拘りカタチを削り出します。
 ピンク色・山吹色の器には青いものや白いものを入れても映えますし、黒い魚皿は全体を引き締めます。急須型の器は土瓶蒸し用、松茸・三つ葉・銀杏などをいただく用に自作。私の考えるレストランは、トイレを含めたスペース全体でお客様に心からEnjoyしてもらえるよう、自分なりの「おもてなし」を提供していくもの。お店に器は重要です。美食家で陶芸家でもある魯山人は料理を女性とし、器を洋服と例え、どんなに綺麗な女性でも洋服が綺麗でないと美しい身だしなみと言えない、と言ったそうです。料理と器の関係は非常に大事だと思います。

シェフの食材選び

 これまで主にNYとLAに住みましたが、冬は何も採れないNYに比べ、アメリカでも有数の農業地域であるカリフォルニアは新鮮な食材が充実していて、オーガニック農家から直接ファーマーズマーケットで購入できます。小規模で良い食材を作っているファーマーが多いので食に携わるには一番良い環境であり選択肢が多いことに感謝しています。お店で使う野菜、自宅で使う食材はほぼファーマーズマーケットで調達しています。マーケットに通うと良いところは、コミュニケーションも楽しく、人とも知り合うことができること。特定の農家から継続的に購入するとおまけしてくれたり。現在の環境でTo Go(持ち帰り料理)の提供も検討していますが、出来るだけ環境負担のない容器での提供や、”Bento”という日本の伝統も取り入れていくことも考えています。

新しく開店するお店の事

 2011年に店を売り数年間はシェフをやめ、ウルグアイでのお米作りと他のお店からオーダーを頂く器づくりをしていましたが、2017年にシェフとして復帰した際、「待ってました!」とばかりにLA Timesでの特集や他メディアで取り上げられたり、シェフとして求められている事を実感しました。時折思い出す故郷の風景の中で自身の味覚の根本は祖母の味だと年々感じるようになりました。カリフォルニアで採れる、人間にも環境にも優しいオーガニックの新鮮な野菜をメインに、もっと上手に料理したいと思うようになりました。新しいお店では、ごはん・みそ汁・焼き魚・自身で作った漬物・おしんこという組み合わせで、自作の器にのせ、自分が毎日食べたいものを提供していきたいですね。日本に行ったことがあるアメリカ人が、LAに戻って美味しい日本の朝食を食べる場所がないので、厳選した食材を使って手間暇をかけた料理をお届けしたいです。オリジナルで、1から10まで、最初から最後まで自信をもってお客様に説明できるお店を作りたいと思います。

小野寺さんの人生観・目標

 お金が一番の優先ではないことが自分の人生であり、生きる意味だと思います。祖母が米・野菜・醤油・味噌も全て手作りする環境で育ったので、子供の頃から既製品の味覚との違いを感じてきたことも、自分の人生の基礎となった無形の貴重な財産だと思います。40代で生きがいを感じていたお店を閉じる決断をしましたが、これが良いリセットとなり、1からまたスタートし、今があります。美味しいお米を提供するため、新しいお店では日本のお米を使う予定です。また偶然のつながりから、宮沢賢治が作った「陸羽132号」というお米と出逢い、このお米を岩手で育てている地元住職とのご縁が生まれたことで、いずれはこのお米をお店で提供し、未来ややりがいに繋がるような米作りをしていきたいと思います。アメリカから人を連れて行き、田植えや稲刈りを行うような交流にも発展させ、お米を通して故郷の子供達により良い未来を残していけたらと願っています。そして、アメリカの人たちへ「日本のコメ文化」の発信源として、お店を発展させていきたいですね。

アメリカでの生活や日本との関係性をどう感じていますか。

 渡米して30年が経過し、アメリカの懐の広さを感じています。思いっきり長所を伸ばし、自分がやりたいことをやることは、郷里である岩手県では受け入れづらかったのではと思います。多種多様な人々が集う環境の中での「自分」であり、自身の存在意義を見つめ直す意味でもカリフォルニアはとてもいい場所です。気候に恵まれているのもいいですね。

J weekly読者へのメッセージ

 自身の過去を振り返ると失敗ばかりですが、一般的に言われる通り「失敗は成功の母・成功の元」であり失敗から学ぶことはとても多いです。実は「失敗」というよりかは、「あれはちょっと違っていたな」という感覚や程度により近いのではないでしょうか。失敗を恐れず、失敗から学びながら、これからも挑戦し続け、前に進んでいきたいと思います。