チェルニー弾くのは何のため?

 こんにちは。サンノゼピアノ教室、講師の井出亜里です。
 先日、大人の生徒さんが「チェルニーって、作曲家の名前だったんですか?」と驚いていました。楽譜の題名だと思っていた模様です。(チェルニーはピアノ練習曲を沢山残した作曲家。)チェルニー、今頃は草葉の陰で泣いていることでしょう。

 対照的な例もあります。トライアルに来た小学生に「何を弾いているの?」と尋ねたところ「ソナタ」。「誰の?」に対して「ソナタの」。こちらはソナタ曲集を人名と勘違いしています。そなた、それは間違いじゃ、と言いそうになりました。

 時代ごとの音楽の変遷や、音楽家について学ぶことを音楽史と言います。前述の生徒さん方にとって、「チェルニー」や「ソナタ」は単なる楽譜の名に過ぎないのでししょう。特にチェルニーを「嫌い」「苦手」と言う生徒さんの多い事。まずは表紙の裏にある顔写真でも見て、チェルニー先生をちょっと知ってみましょう。

 ピアノ経験者以外の方には馴染みが薄いであろうチェルニー。しかし、ベートーヴェンを知らない人はいないでしょう。このチェルニー、ベートーヴェンの愛弟子なんですね。9歳の時にベートーヴェンの曲を本人の前で弾き、その名演奏ぶりで見事弟子入りを果たします。その後3年間、演奏法の教えを受けて独り立ちしていきました。

 しかし繊細だったチェルニーは演奏家よりも教師、作曲家として生きる事を決めます。「指を訓練する練習曲を作ろう!ベートーヴェン先生のソナタを生徒たちがもっと上手く弾けるように。」そして出版されたのがチェルニー練習曲集なのです。 

 なんとも先生思い、弟子思いの人ではありませんか。名教師チェルニーのレッスン料は高額で、生徒の大半は貴族の子女でした。しかし、その中にはベートーヴェンの甥(反抗期真っ最中で叔父の悩みの種)や、後に「ピアノの魔術師」と呼ばれるピアニスト、フランツ・リストの名も。リストには無料でレッスンを行い、楽譜を買い与え、生活の面倒までも見るという献身ぶり。才能を見抜いていたのでしょう。

 リストをベートーヴェンに引き合わせたのもチェルニーです。12歳のリストがウィーンで演奏会を開いたとき、当時52歳(53歳説もあり)のベートーヴェンが聴きに来て、額にキスまでしてくれたのでした。リストは生涯、この感動が何よりも音楽家として生きる励ましになったと語っています。

 白黒の楽譜から想像がつかない人物像。しかし、作曲家の背景を知ることで想像は広がり、他の作曲家への興味も生まれるのです。子供たちに「今日はチェルニーを習います。ウィーンで1857年に生まれた彼は・・・・・・」と話してもまるで無駄。「ウィーンて何?Wiiなら知ってるよ!」から始まりますからね。

 そこは、こどもに身近な話題から。ウィーンはウインナ・ソーセージのできた街だよ!と地球儀を指さします。「へぇ〜」を貰ったところで本題にいきましょう。「ベートーヴェン、知ってる!」と声が上がれば大丈夫。もう音楽史に引き込まれています。小さな街で広がる音楽家同士の交友関係に驚いたり感心したり。

 チェルニー先生が残した練習曲は生徒たちへの贈り物。これを練習していけば、ベートーヴェンのソナタだって弾ける日が来るのです。嫌わず、焦らず、ゆっくり付き合っていきましょう。