こんにちは。サンノゼピアノ教室、講師の井出亜里です。
今月はバレンタインデイ、お花を贈るご主人も多いでしょう。さて、音楽家の妻というと、兎角に悪妻が目立つもの。以前のコラムでお伝えしたチャイコフスキーの妻アントニーナやモーツァルトの妻コンスタンツェはいずれも悪名を轟かせております。
では音楽界に良妻はいるのでしょうか。シューマンの妻、クララがその人です。美しく、ピアニストとして名高いクララと作曲家の夫ロベルト。彼らがおしどり夫婦と呼ばれるようになった経緯を見てみましょう。
ロベルト・シューマン。ロマン派音楽において、ショパンやリストと並び称される作曲家です。元々ピアニストを目指していたのですが、指を痛めて作曲家を志すことに。彼が習っていたピアノ教師、フリードリヒ・ヴィ—クの愛娘がクララでした。シューマンが18歳でヴィ—クの門を叩いた時、クララは9歳。その頃は「先生のお嬢さん」としてクララを子ども扱いしていたシューマン。しかし彼女が美しく、また有能なピアニストとして名を馳せる頃に二人は恋に落ちていたのです。「ドイツ一の女流ピアニスト」「花の妖精」と謳われたクララ、17歳でした。
ヴィークは音楽教育者として有名な一方、レッスンの過酷さや性格の気難しさと残忍さでも知られた存在でした。最初の妻(クララの母)に逃げられた後は性格も悪化。交際の許しを請うシューマンを一蹴します。「娘はピアニストに育てたのであって主婦にするためではない」。しかし若い二人は止まりません。ヴィークの執拗な攻撃が始まります。
1. 手紙の検閲、クララを軟禁
2. 友人をクララの恋人に仕立てる
3. 町で会えばシューマンに唾棄
4. 路上でシューマンを平手打ち
5. シューマンの中傷を流布
父親の極端な行動に疲れ切ったクララはシューマンへの想いを一度は諦めますが、シューマンは着々と結婚への準備をしていました。クララの実母に結婚の許しを請い、社会的地位を高める為に哲学博士の学位を取得。極め付けは結婚を認めない事を不合理としてヴィークを相手に裁判を起こします。
頭に血が上ったヴィークは法廷で罵詈雑言。判事に口を慎めと叱責された挙句に中傷の流布で禁固2週間。クララとシューマンは勝訴しました。結婚はクララ21歳、シューマン30歳の時です。
結婚生活は楽ではありませんでした。子供は次々と計8人。(長男は早世)。シューマンだけの収入ではとても暮らしていけません。クララは育児に追われながらもピアニストとして舞台に立ち、家ではレッスンをして家計を支えます。夫の作品を演奏会で弾いては、その名と才能を広めていきました。
シューマンの精神に陰りが見え始めたのは30代半ば。幻聴、耳鳴り、恐怖症が現れます。幻聴に悩まされつつもクララに励まされて作曲しました。40代になると、言語障害と妄想も発症。「発作」の合間に作曲を終える日々が続きます。44歳、自らの意思で精神病院に入るも、翌日には川に身を投げて自殺未遂をおこします。救助後は別の精神療養所に入所しましたが次第に食事を摂ることも困難になり、終にベッドに寝たきりという状態に。46歳でクララに看取られて亡くなりました。
クララはシューマンの最期の抱擁について「世界中の宝を持ってしても、彼の抱擁には替えられない」と回顧しています。
夫の死後、クララは外国への演奏旅行を精力的にこなし、シューマンの曲を世界中に広めていきました。シューマンが評価されているのは、クララによるところが大きいのです。7人の子供を育て上げ、76歳で亡くなったクララは、今、シューマンのお墓で眠っています。