カナダ発 伝説創るピアニスト

 こんにちは。サンノゼピアノ教室、講師の井出亜里です。
前回は“北欧のショパン”ことエドヴァルド・グリーグのお話でした。

 今回は彼の親戚、「バッハの偉大な演奏家」であったピアニストを取り上げます。グリーグの死から25年後、カナダのトロントで生まれたのが、グレン・グールド。声楽教師でグリーグの親戚だった母にピアノを教わると一日中ピアノを弾き続けました。7歳でトロント王立音楽院に合格。16歳でピアニストデビューと同時期に最年少、最優秀で音楽院を卒業と、華々しいスタートを切ります。

椅子から始まるエピソード
 一番有名な伝説はその椅子。高さは床から35㎝、父親が椅子の脚を極端に短く切ったものなのです。低すぎる椅子での演奏姿に共演者は度肝を抜かれたそう。
 「この椅子でなければ演奏はできない」と主張し、“旅仲間”、“家族の一員”と呼んで、国内、海外の演奏に持参しました。演奏時は体の一部となった椅子。現在はオタワの国立アートセンターに展示されています。

イケメンの要素もあるが、無頓着
 若い頃のグールドは、容姿端麗でした。しかし極度の寒がりで、夏でもコートに厚手のセーター、マフラー、手袋、帽子の装い。帽子の下は髪ぼうぼう。
 指揮者のレナード・バーンスタインがグールドを自宅に招待した時のことです。コートを何枚も脱いだグールド。しかし毛皮の帽子は被ったまま。指揮者の妻が尋ねます。「帽子もお取りになるでしょう?」押し問答の末、現れたのは… ”べったりと貼りつき、最後に洗髪したのは一体いつなのかも知れない程酷い髪”と後に指揮者は書いています。妻は問答無用でグールドを洗面所に連れていき、洗髪、散髪。美青年の一丁あがり!レコード写真では、そんな彼の姿を見ることができます。

幽霊の、声を聴いたり演奏家
 グールドのレコードが発売されるや、レコード会社にこんな電話が殺到しました。「幽霊のうなり声が聞こえる!」ご安心ください。グールドです。再三歌わないようにと注意されても、断固拒否。古い椅子のきしみも手伝い、不気味さ倍増。CDには今も「グールド自身の歌声など一部ノイズがございます」の注意書きがあります。

演奏の秘密道具は計5種類
 こだわりは椅子に留まりません。演奏の必需品は全部で5種類。ご紹介しましょう。
1. 何は無くとも例の椅子 
2. 楽譜入れ
3. タオル一束
4. ミネラルウォーター大瓶2本
5. 薬の瓶2本〜5本

 タオル一束は、演奏前にお湯で数十分手を温める為。ミネラルウォーターは、録音場所であるニューヨークの水を信用しなかった為。薬はビタミン剤から抗不安薬等、吐き気止め、風邪薬に鎮痛剤と多岐に亘りました。

天才は、普通と違う感覚主
 握手は決してせず、練習中に肩を叩かれれば激怒したグールド。何種類もの薬を持ち歩いていたのはさまざまな恐怖症持ちだったからと言われています。風邪を恐れて厚着をし、手袋は防寒用と菌を防ぐ為。電話中くしゃみをした途端、突然電話を切られたピアニストは笑います。「電話を通して風邪がうつると考えたんだよ」と。
 そんな繊細すぎる精神と体調の為、若干32歳で演奏会を引退し、以後は録音のみに活動を制限しました。彼自身は、その理由を「1回限りの演奏」への疑問と「見せ物」への嫌悪と語っています。
 晩年「自分は50歳で死ぬだろう」ともらしていたグールド。言葉通り、50歳の誕生日から9日後に脳卒中で亡くなりました。大量の薬剤摂取による副作用説や、極度の偏食による説が有力ですが、真相はわかりません。
 今なお伝説が語り継がれるピアニストは故郷トロントで、バッハのメロディが刻まれるお墓に眠っています。