今月の一曲 『春の海』

 明けましておめでとうございます。サンノゼピアノ教室の井出亜里です。今年もどうぞ宜しくお願いいたします。 

 正月といえば『春の海』。日本では、かけ放題聴き放題。大盤振る舞いの曲ですが、ここアメリカでの頼みの綱はYOUTUBE。元旦から『春の海』3時間連続演奏を聴いていました。

 この曲は心を緩めます。摂生しているのに「今日はモチ追加するか」という気分になり、節約に努めていても、勢いで福袋を複数買ってしまう。洗濯・乾燥は終わったのに「畳むの、明日にしよう」となり、夕飯時には「昨日の残りでいいや」になる。これが筆者の三が日。「だって正月だもの(ゆるく行こう)」の気分を最高潮にしてくれるのがこの曲なのです。

作曲家はどんな人?
 『春の海』は昭和4年(1929年)に「現代邦楽の父」とも呼ばれる盲目の筝曲演奏家、宮城道雄によって作曲されました。
 宮城道雄は明治27年、(1894年)神戸の外国人居留地生まれ。9歳まで育ったこの地で、西洋の音楽に親しみます。光を失った7歳頃から筝、三味線の修行を積み、11歳で免許皆伝。10代前半から20代前半までは朝鮮で働く父親を助けるために彼の地に渡り、昼は筝、夜は尺八を教えて収入を得ました。

 大正6年、(1917年)23歳の時に日本に帰国。伝統的な邦楽と洋楽の融合を図った「新日本音楽」の創造に取り組みます。400曲以上を作曲し、新しい箏の開発も行いました。随筆も数多く残しています。後進の指導に熱心で多くの弟子に慕われましたが、昭和31年、(1956年)62歳で亡くなりました。走行中の夜行列車のドアを内側から開けたことによる転落死でした。

『春の海』ってどこの海?
 この曲のテーマは、大正6年に宮城道雄が抱いた瀬戸内海の印象です。上京する日に渡った海。12年後の昭和4年に作曲されました。
 曲の構成はABA形式。オレオクッキーと同じ作りです。最初と最後が同じテーマで、真ん中に違う曲調を挟んだ作り。クッキー部分のAパートは、箏で始まる緩やかな旋律。四方を山に囲まれた瀬戸内海の凪の様子です。箏の音は浜辺のさざなみでしょうか。高い尺八の音色はかもめの鳴き声を表わしているともいわれています。

 クリーム部分のBパートは沖に漕ぎ出した小舟の様子。少し波も高いのか、テンポも速め。調子よく櫂をこぐ漁師さんとその舟唄。箏と尺八の掛け合いは会話のよう。
 その後、浜辺に戻ってAパート。再び穏やかな海で曲を締めくくります。風の弱い、瀬戸の内海が『春の海』でした。

デビューの時から大人気?
 今でこそ、正月を代表する曲なのですが、初演の1929年から数年間、高い評価はされませんでした。伝統的な筝曲は箏、三味線に尺八が加わるスタイル。対して『春の海』は筝と尺八を対等に使用した二重奏。当時は斬新だったようです。

今や世界のHaru no Umi
 昭和7年、(1932年)『春の海』が日の目を見る時がやってきました。フランス人ヴァイオリニスト、ルネ・シュメ—が来日したのです。この曲を大変気に入った彼女は尺八部分をヴァイオリン用に編曲。宮城道雄と共演したいと申し出たのです。演奏会場は日比谷公会堂。
 川端康成はこの演奏を聴きに行き、「嵐のような歓呼はやまなかった」と聴衆が割れんばかりの拍手を送り、演奏会が大成功した様子を『化粧と口笛』という短編小説中に記しています。
 川端康成はシュメ—をやたらと大柄な女性に書くのです。「たくましい腕」「太い腕」「ルネの男らしさ」…。一体どんだけ太いのだと写真を探せば、一般的な欧米女性。6号程の体格。宮城道雄が小柄で非常に細いので、隣の彼女が巨漢に見えたのか。とんだとばっちりでした。

 後にシュメ—と宮城の演奏は録音され、日本は勿論、フランス、アメリカのレコード発売により、一躍世界で知られる筝曲になりました。
 今や日本だけでなく世界中で、さまざまな楽器で演奏される『春の海』。新年の始まりを一番に告げる一曲です。