顔は怖いが優しい夢想家

 こんにちは。サンノゼピアノ教室の井出亜里です。
 悪人じゃないのに怖い顔。いるでしょう、そういう人。前ローマ法王のベネディクト16世とか、達磨大師とか。内面は違うだろうに、コワモテと呼ばれてしまう。フィンランド国民から深く愛されたシベリウスもそんな音楽家です。晩年の写真は映画の悪役と見紛うレベル。いつから怖い顔なのか、そして本当のところはどうなのか。

 ヤン・シベリウスは1865年の12月8日にフィンランドで生まれました。7歳からピアノ、続いてヴァイオリンを習い、10歳で作曲を始めます。夢見がちで、森の中を歩き回っては、おとぎ話を作る男の子でした。11歳の時の写真はぼんやりと斜め上を見上げた一枚。無表情ですが可愛い顔立ちです。

 15歳になると、ヴァイオリニストになる夢を抱きます。ところがヘルシンキの音楽院で勉強を始めると、問題が出てきました。あがり症と極度の自己批判。舞台で弾くより森で動物相手に弾くのが好き。演奏家としての弱点を自覚した10代後半、ヴァイオリニストを諦めて、作曲家の道を進み始めます。指導を受けている時に女学生たちが覗こうものなら、そっとドアを閉めるような内気な青年でした。

 1890年、25歳でウィーン留学中に撮られた写真は、髭をたくわえ、おっとりとした顔の一枚。ブラームスと知り合いになった頃です。

 1894年、シベリウス29歳の時に描かれた肖像画は険しい目つきに固く結んだ口元。苦み走り、痩せた顔。この頃の大きな出来事は以下の3つです。留学を終えてフィンランドに帰国。ヘルシンキ音楽院の教授に就任。一目ぼれした美人令嬢アイノ・ヤルネフェルトと結婚。妻の父は将軍、上院議員、知事です。義父の前では夢想家でいられなかったのか、教授という重責が顔に影を差したのか。ここから顔の怖さが倍増していくのです。

 1899年、交響詩「フィンランディア」を作曲。フィンランド国民の愛国心を鼓舞し、後に起こるロシアからの独立を促して国民的作曲家になります。
 1900年からの10年間は試練の時期。愛娘の死、鬱、飲酒による喉の腫瘍で健康が著しく損なわれました。都会では飲酒の誘いが多すぎると、夫の体を案じた妻アイノは郊外の森に移住を決行。野菜と果物、花を庭で育てては、森を散策する毎日。それが功を奏し、健康を取り戻して成功を収めた1913年、48歳の写真は貫禄と威厳に溢れています。厚い頬の肉、屈強そうな顎、上目遣いの目。この写真の2年後には文化的な国民的英雄として生誕50年祭が国を挙げて行われるのです。

 1939年の写真は映画『ゴッドファーザー』の俳優と言われれば、誰もが納得しそうです。葉巻を片手にくゆらせて、スキンヘッドに三つ揃え。この写真は森に佇むアイノラ(シベリウスが付けた自宅の名前。“アイノの居場所”の意味)の前で撮られたもの。この笑顔に合う台詞を考えてみました。


「小鳥のさえずりの中で作曲するのは最高だよ!」
「あの裏切者はとっくに海に沈めたさ!」
 つい、マフィアバージョンも浮かんでしまう一枚です。
 これほど国民に愛され、国家から優遇された作曲家はいないと言われたシベリウス。しかし63歳頃から創作の手は止まり、晩年の28年間は一つも作品を発表すること無く91歳で亡くなりました。生来の自己批判が強まったのでしょうか。コワモテだけれど、自然と動物を愛する内気な夢想家。このギャップに惹かれますね。彼は今もアイノラの美しい庭でアイノと共に眠っています。