今月の歌 『お正月』

 明けましておめでとうございます。サンノゼピアノ教室の井出亜里です。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 思えば遠く来たもんだ、と幼少時のお正月を思い出していました。祖母は生前、一人で豪華なお節料理をお重につめたものです。伊達巻とヤツガシラの煮物が子供ながらに美味しいと思っていました。

 時は過ぎて、現在の筆者。黒豆を煮ればシワシワ。皴だらけになるまで長生きできる…なんて御利益があるものかとミツ〇に走る。「人気一位」で検索して作った伊達巻は可もなく不可もなく。なますを作ればピーラーで出血。料理は人並みにできるのです。本当です。普段やり慣れない物を作るから、こういう目に遭うのです。お節はプロに頼む、これが新年の決心になりました。しかし結局頑張る我の性質(さが)、来年もお節に挑むのでしょうか。

 さて、今月の歌は『お正月』。お正月には凧あげて〜のあの曲です。歌詞、覚えていますか?

お正月

一、もういくつねるとお正月
お正月には 凧あげて
こまをまわして 遊びましょう
はやくこいこいお正月


二、もういくつねるとお正月
お正月には まりついて
おいばねついて 遊びましょう
はやくこいこいお正月

 一番は男の子のお正月の遊び。二番は女の子です。”おいばね”というのは羽根つき遊びのこと。

 羽根つきの歴史は室町時代までさかのぼります。羽根つきの羽根は「胡鬼子(こきのこ)」と呼ばれ、蜻蛉(とんぼ)に似せて作られました。当時の人々は蚊が媒体となって発生する病気を恐れていましたから、蚊を駆除してくれる蜻蛉は縁起のよい虫でした。羽子板は「胡鬼板(こぎいた、こきいた)」と呼ばれ、その由来は古代中国語の「コキ」、蜻蛉を指す言葉です。

 羽根の根本の黒い玉はムクロジという落葉高木の種。漢字で書くと「無患子」。そのため江戸時代から、女児の無病息災を願って、女の子のいる家庭への御歳暮に羽子板が贈られていたのです。

作詞作曲はだれでしょう?

 作詞は東くめ。1877年、和歌山県生まれの彼女は東京音楽学校(現在の芸大)でピアノと唱歌、和声学を学び、その後、東京府立高等女学校(現在の東京都立白鴎高校)の音楽教師を務めました。東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大)の教授で、教育学者の夫と結婚。彼の提案で「子供の言葉による、子供が喜ぶ童謡」の作詞を始めます。日本で初めて、口語による童謡の作詞をしたのが東くめでした。その後、音楽学校で2年後輩だった瀧廉太郎と組んで『お正月』『雪やこんこん』『鳩ぽっぽ』などを残します。1969年に91歳で亡くなりました。

 作曲は瀧廉太郎。『荒城の月』や『花』で知られる、明治時代の作曲家。1879年、東京に生まれました。父親の仕事の関係で日本各地を転々とする幼年期を過ごします。日本の名所や、横浜に見られるような西洋の文化や音楽に触れて育ったことが、彼の作曲に大きく影響しました。

 15歳、最年少で東京音楽学校に入学した廉太郎は、ピアノ演奏で才能を現し、19歳の時に主席で卒業。ピアニストとして将来を嘱望されました。このイメージが変わったのが、「中学唱歌」(当時の中学校音楽の授業に使われた歌唱集)に掲載された彼の作品。『荒城の月』『箱根八里』『豊太閤』により、一躍作曲家としての名を馳せたのです。

 『お正月』は、1901年に刊行された「幼稚園唱歌」に掲載されました。同年ドイツへ留学。西洋の音楽技法を学び始めた僅か5か月後、結核にかかり、入院。回復の見込みがないとして、帰国。1903年に23歳で亡くなりました。

 日本生まれの最も古い童謡『お正月』。幼い頃から繰り返し聴いたメロディと言葉が温かい曲です。100年以上歌い継がれ、2007年には「日本の歌100選」にも選ばれた曲、もう一度聴いてみませんか?
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